yuhka-unoの日記

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シャーロック・ホームズとアスペルガー症候群


 
BBC版「シャーロック」の「The Hounds of Baskerville」の回で、ジョンとレストレードが、シャーロックのことを「アスペルガー症候群なのでは?」と話すシーンがあるらしい。そして、NHKの日本語版では、その部分が「性格」に置き換わっていたらしい。一体どういう「配慮」でこういうことになったのだろう。日本ではアスペルガー症候群が一般には十分に認知されていないからという「配慮」なのか、あるいはまた別の「配慮」なのか。しかし、その一方で、シャーロックとジョンが、周囲の人たちからゲイだと思われるシーンは何度も出てくる。いずれにせよNHK的には、「ゲイなのでは?」はOKで、「アスペルガー症候群なのでは?」はNGという判断らしい。もしかして、翻訳担当者がアスペルガー症候群について知らなかったのだろうか。それはちょっと考えにくいと思うのだが…
それに、「アスペルガー症候群」の部分を「性格」に置き換えるのも、どうなのだろう、という気がする。アスペルガー症候群は先天性の障害で、治らない。障害の特性を踏まえた上で、対処法を身につけていくしかない。発達障害者は、「本人の性格の問題」とされて苦しんできた人が多い。「親の育て方が悪い」と見なされてきたのは、発達障害史上の黒歴史だ。
 
シャーロック・ホームズは、(兄のマイクロフトもだけれど)原作からしアスペルガー症候群らしい特性を持っているし、現代版シャーロックがアスペルガー症候群という設定だったり、周囲の人間が、シャーロックをアスペルガー症候群なのではないかと思ったりするのは、別に全くおかしなことではないと思う。
面白いのは、レストレードが言葉に詰まった後、ジョンが「アスペルガー症候群?」と言っていること。アスペルガー症候群について、警部のレストレードはあまり知識がないようだが、医者のジョンには知識がある。ここが二人の職業の差なのだろう。
もうひとつ面白いのは、アスペルガー的な特性を持つ二人の兄弟のうち、マイクロフトは、自分の能力をフルに生かせる分野で確固たる地位を築くことで、社会に「適応」しているのに対し、シャーロックは自分でも言う通り、「高機能社会不適応者」であること。BBC版のほうはよくわからないが、原作においては、シャーロックよりもマイクロフトのほうが、アスペルガー症候群の傾向がより強いように思う。しかし、シャーロックよりもマイクロフトのほうが落ち着いて見えるのは、マイクロフトのほうが、社会の中での安定的な地位を獲得できているからだと思う。一方でシャーロックのほうは、兄よりも社会の中で生きづらい立ち位置にいるような感じだ。
 
私は、障害の名前が差別的に使われているかどうかは、大きく分けて、その障害や障害者について考える「スタート地点」として使うか、思考停止するための「終点」として使うかだと思う。
一般に、障害者やその周囲の人々(医療関係者含む)のほうが、特に「配慮」したり「遠慮」することもなく、はっきりと障害名を言う傾向にあると思うのだが、それは、障害者やその周囲の人々は、その障害があるということを前提として、生き方や関わり方を考えていく必要に迫られているからなのだろう。障害名は、障害者の環境をより良くしていくための前提であり、判断材料であり、「スタート地点」なのだ。
他人を「アスペルガー症候群」と言うのが問題になるのは、レッテルを貼ることでその人を排除したり、自分より判断能力の劣った者として扱ったりするために使う場合だ。差別的な人の言う「アスペルガー症候群」という言葉は、レッテルを貼り、相手を理解しようとする努力を一切せずに思考停止するための「終点」である。
少年犯罪など、一見理解できない犯罪が起こったとき、安易に「アスペルガー症候群」で説明してしまい、「犯人はアスペルガー症候群だったから」で思考停止してしまい、「私たちとは違う人だから」とレッテルを貼って排除してしまうケースはよく見られる。動機自体は定型発達者でも十分起こりえることで、たまたま犯人がアスペルガー症候群だっただけかもしれないのに。
 
物語の中でシャーロックも言っている、ジョンの「一緒にいる人を輝かせる才能」は、全くその通りだ。アスペルガー的なシャーロックに対して、見下したり排除したりするのではなく、相手の才能に興味と好奇心をもって、対等な友人として付き合えるのは、とても素晴らしいジョンの才能なのだ。
世の中には、アスペルガー症候群のような「変人」に対して、見下したり排除しようとしたり、「普通」に振舞うことを押し付けたりする人が多い。当然ながら、そのような人たちは、他人の才能を伸ばすどころか、抑圧して埋もれさせてしまう。そのことを、「変人」として生きてきた人間は、今までの人生経験から身をもって知っている。だからこそ、ジョンの素晴らしさは、ジョン自身にはあまり自覚できなくても、「変人」のシャーロックにはよくわかるのだろう。
差別意識がある人の言う「アスペルガー症候群なのでは?」と、ジョンみたいな「一緒にいる人を輝かせる才能」を持った人の言う「アスペルガー症候群なのでは?」は、意味合いが全く違う。だから、ジョンの「アスペルガー症候群?」というセリフは、できれば日本語版でもそのまま使って欲しかったな、と思う。
 

バスカヴィル家の犬 第1章
 
「どう考えても君がいい線をついているのは認めざるを得ないな。君は僕のちょっとした成功を誉めるのに忙しくて、いつも自分の能力を過小評価してきた。もしかすると、君は自分自身が輝くのでなくとも、光を導き出す人物かも知れない。才能がない人間の中にも、才能を刺激する驚くべき能力を持った者もいる。実は、ワトソン、僕は君がいてくれて非常に助かっている」

 
 
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