yuhka-unoの日記

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『50歳、おしゃれ元年。』を読んで―若々しさとは何か

50歳、おしゃれ元年。

50歳、おしゃれ元年。

『50歳、おしゃれ元年。』(著者:地曳 いく子)。この著者は『服を買うなら、捨てなさい』のほうが有名かもしれないけど、私にとってはこっちが面白かった。体型が変わり、世間のおしゃれルールが変わり、「若い頃は『この世に似合わない服なんてないわ! すべての服を着こなしてやる!』と 傲慢に考えていた私が、完敗なのです。」という、プロスタイリストの著者による、50代からのおしゃれ本。私の母くらいの世代向けだけど、目次だけ見ても「うんうん」と頷いてしまう。
 
とりわけ、印象に残っている言葉がこれ。

「昔はよかった」「あの頃の自分に戻りたい」と過去にしがみついたその時点で、既に「今の時代」に後れをとっている

私は、過去記事『自分が若いときのままで時が止まっているのは、「若い」とは言わない』の中で、「自分が若いときのままで時が止まっているのは『若い』とは言わないんだよね。『若い』っていうのは今を生きることだ。」と書いて、その時は価値観の話をしたんだけど、これって、おしゃれでもそうなんだな、と思った。
 
私は、自分自身が大人顔だったので、同世代の若い女の子向けのファッションが似合わなかった。だから、魅力的だと思う年上の人を観察して参考にしようと思った。私が年長者を観察していて思ったことは、シミやシワよりも、「若作り」と「流行遅れ」が老けて見えるということだった。
実際、うちの母とかを見ていると、本人が思っているほど、シミやシワって気にならないんだよね。いや、本人は気になるんだろうし、私も、いずれ自分の顔にシミやシワを発見する時が来たら、落ち込むんだろうなって思うけど、でも、他人にとっては、その年齢の人にそのくらいのシミやシワがあるのは当たり前って思ってるから、まぁ普通だなって思うだけなんだよね。
ただ、そのシミやシワを気にして、ファンデを素肌よりずっと明るい色で塗ってしまって、ファンデが白浮きしてしまったり、厚塗りになってしまったり、さらに、あの年代の人にありがちな、濃いブルーのアイシャドウに赤色が濃い口紅みたいな、昭和の香りがするメイクだと、かえって老けて見えてしまうのね。というか「古く」見えてしまう。
結局のところ、他人から見て「若々しい」もしくは「古い」っていうのは、外見的な面においても、「今を生きている」ってことになるのかも。シミやシワは「今」のものだけど、自分が若い時から更新されていない服装やメイクや髪型は、「過去」のものだもんなぁ…
 
ただ、これってすごく難しいと思うのね。だって、シミやシワって、自分ではっきり見えるから。見たくなくても見えるもんだろうし。自分でわかるし、目に付くから、「これを何とかすれば…!」って思ってしまうもんなんだろうな。でも、自分のメイクや服装や髪型が古いっていうのは、自分では見えない。わからないよね。だから、他人に指摘されない限りは、自分で気付くしかない。
というわけで、年を重ねたら、シミやシワをなんとかする化粧品よりも、最近のトレンドのほうに意識してアンテナを立てておいたほうが良いのかもしれない。
 
それにしても、こういうおしゃれについては、よく「若い頃は失敗が許されるから、何でも試してみればいい」「でも歳を重ねてきたら、自分に合うものくらいわかっているはず。失敗とか恥ずかしい」みたいなこと言われてるけど、でも、いくつになっても、おしゃれってわからないもんなんだな、と思った。自分の容姿や体型だって変わるし、世間のおしゃれルールだって変わる。だから、もうその都度、失敗を承知で試行錯誤していくしかないのかもしれないな、なんて思った。というか、それって若者と同じだよね。だから「若々しい」んだわ。
若いうちの失敗は、挑戦して失敗することが多いけれど、ある程度の年齢以降の失敗は、新しいものに挑戦せず、今までのやり方を変えなかったことによって起こることが多い。つまり、何年も同じやり方を見直さずやっているのなら、それはもう既に失敗している可能性が高いってことだ。

 
あと、

買い物に夫の同伴、邪魔なだけ!

試着に連れて行っていいのは、口の悪い女友達か娘や息子

には笑った。夫からは「早くしろよ」オーラが出てるし、夫がダメなら友達なら良いのかというと、「どう?この服」「うん。平気、平気」みたいな会話をしてしまって、本音を言ってもらえないから、頭に「口の悪い」がつく友達か、娘や息子じゃないとダメだって(笑)。
これにも頷ける。私も、買い物は基本的に一人で行くよね。