yuhka-unoの日記

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「若者は、物が溢れた豊かな時代に生まれて、苦労も不満もなく育ってきた世代」というイメージ

デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話

1979年生まれのデジタル原人の話も聞いていっておくれよ | LUNATIC PROPHET

89年生まれの人と、79年生まれの人の、インターネットとの関わりについて書かれた記事。この二つの記事が書かれた当時は、自分の世代とインターネットとの関わりについて話す人が沢山出てきて、なかなか面白かった。
それらの話を読んでいて思ったことは、若者は年長者世代から「デジタルネイティブ世代」と言われているけど、実際はそうでもないということだった。上の89年生まれの人は、親御さんのPCをバレないようにこっそり使っていたそうだけど、私の親なんて、全くネットにコミットしない人だったので、私がインターネットに触れたのは、学業を終えて自分で稼ぐようになってからだった。だから、けっこうネットにコミットするのは遅かったのだ。
ネット普及初期の頃にネットにコミットしていた人たちは、その頃にはもう既に十分大人になっていて、自分で稼いで自由に使えるお金を持っていた人がほとんどなんじゃないかと思う。その中でも、特にインターネットというものに興味を持った人たちが。
だから、今の10代はどうか知らないけれど、少なくとも私や、上の記事の89年世代の人は、年長者が想像するほどデジタルネイティブではないのだ。
 
それで思ったのだけれど。
「若者は、物が溢れた豊かな時代に生まれて、苦労も不満もなく育った」みたいなイメージを持ってる年長者って多いよね。
まぁ確かに、年長者が子供だった時代と、若者が子供だった時代となら、昔のほうが物がなかったのかもしれないけど、それにしても、年長者の若者に対するそういうイメージは、随分誇張されているよなぁと思う。年長者が想像する若者の子供時代と、若者が実際に体験した子供時代とには、随分隔たりがあるような気がしてならない。これは、年長者が若者のことを「デジタルネイティブ世代」と思っているわりには、実際のところ、若者はそうではないという話と共通するものがあると思う。
いくら物が溢れている時代と言っても、子供には経済力がないのだから、買える金がない。子供時代に「物が溢れた豊かな生活」を享受できるかどうかは、親の裁量にかかっている。実際のところ、いくらでも物を買い与える親というのは少なくて、ほとんどの親は、子供にちゃんとした金銭感覚を身に着けて欲しいと思って育てている。それに、今の時代の若者は、物心ついた頃から既に不況だったわけで、ということは、若者の親だって不況の煽りを受けていたということだ。親がリストラされた家庭だってある。
だいたい、昔からスネ夫や花輪くんみたいな家庭はごく一部であり、裕福な家庭もあれば、経済的に余裕のない家庭もあり、子供に何でも買い与える親もいれば、常識的な範囲で買い与える親もいて、逆に必要なものすら買い与えない親もいるわけで、それなのに、ひとくくりに「物が溢れた豊かな生活をして、苦労も不満もなく育った」というイメージで見るのは、ちょっと乱暴なんじゃないのかと思う。
たぶん、物が溢れた豊かな時代をまず一番最初に享受できたのは、その時代にもう既に大人で、自分で自由に使えるお金があった人たちなんじゃないかと思う。文字通り「オトナ買い」ができた人たち。そういう人たちが、自分達の感覚で、若者の子供時代もそうだったんだろうと思っているのだろうか。
 
もうひとつ指摘しておきたいことは、昔の貧困と今の貧困は違うということだ。昔の貧困は、例えるなら、母さんが夜鍋をして手袋編んでくれるようなものだ。なぜ夜鍋して手袋を編まなければならなかったのか。それは、手袋が100均で売っていなかったからだ。だから自分で作るしかなかった。今の時代は、自分で毛糸を買ってきて時間をかけて編むよりも、100均で買ってしまったほうが安い。
現代の貧困は、100均の手袋しか買えないというものだ。手袋が100均で買えるほど「物」は溢れているが、100均の手袋しか買えない生活は、豊かとは言えない。100均の手袋しか買えない貧困というものがイメージできるかどうかが、現代の貧困、現代の若者が抱えている問題を感じ取れるかどうかだと思う。
不安定な非正規雇用で働く人にとって、携帯は必需品だ。携帯がないと仕事ができない時代になっている。昔は携帯がなかった。今は携帯がある。確かに「物」はあるが、豊かな生活とは言えない。
現代のホームレスは、ネットカフェ難民だったり、見た目は清潔なビジネスマンだったりと、一見ホームレスとわからない格好をしている人が少なくない。今までのホームレスのイメージだけで世の中を見たのでは、現代のホームレスについてわからない。
昔の貧困と今の貧困は違ってきている。貧困のイメージが、母さんが夜鍋をして手袋編んでくれたようなものだけしか想像できない人は、今の若者、ひいては今の社会が抱えている問題はわからないだろう。
 
「若者は物が溢れた豊かな時代に育った」、「若者が物を買わない」、「若者は外車やブランド品の良さを知らなくてかわいそう」…考えてみれば、これらの言説は全て「物」を基準にして論じられている。こういうものの見方をする年長者は、「物」が判断基準になっている世代と言えるのではないだろうか。もしかしたら、年長者が若者のことを「物が溢れた豊かな時代に生まれて、苦労も不満もなく育ってきた世代」というふうに見るのは、年長者の時代こそが、まさしく「物の時代」だったからなのではないだろうか。


―She's Leaving Home―

 
 
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