yuhka-unoの日記

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「見ていない」ものは「ない」ものではないということ

いじめについて話すとき、ある年代以上の人は、こんなことを言う人がいる。「最近はひどいいじめが多い。私たちの頃だってちょっとしたいじめくらいはあったけど、あそこまでひどいいじめはなかった。」
こういう言い方をする人が比べているのは、実際のところ、「過去」と「現在」ではなく、「自分の身の回りの実感」と「ニュースに取り上げられるような悪質な事例」である。自分の身の回りの実感ならば、今現在学生をやっている人たちだって、悪質な事例なんて見聞きしていない人がほとんどだろう。
要するに、「私たちの頃は、あそこまでひどいいじめはなかった。」と言う人は、幸運にも自分の身の回りで悪質な事例に遭遇しなかっただけに過ぎない。
 
私たちは日常生活を送る上で、ほどんどの場合、悪質ないじめを「見ていない」し、児童虐待を「見ていない」し、性暴力を「見ていない」。しかし、それらは「ない」わけではない。
私たちは、近所の家庭が密かに子供を虐待していても、その家の子供が泣き叫んだり被害を訴えない限り気付かない。職場の一室で上司が部下をレイプしてしても、部下が被害を訴えず、黙って職場を辞めて行ったら、辞めた本当の理由に永遠に気付かない。クラスメイトが、トイレで、校舎裏で、凄惨ないじめにあっていたとしても気付かない。
私たちは、そういう社会に住んでいる。
 

楽しんご
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%94
 
中学時代に、なよなよした立ち居振る舞いから不良グループに目を付けられてイジメに発展。その内容は、金銭を要求されて、それが出来なければカッターで唇を切られたり(その時の傷は卒業アルバムでも確認できる。後に手術によってこの傷は無くなっている)、焼却炉で熱せられた鉄の棒を胸に押付けられる(その時の傷は今も残っている)といった苛烈なもので、友達やクラス全体からも無視されていた[5]。

こういったいじめの実態は、いじめを受けた本人が訴え出ない限り、不良グループと本人しか知らないことになる。楽しんご氏をなんとなく無視して排除していたクラスメイトたちは、まさかこんなに悪質ないじめを受けていたとは思わなかったのではないだろうか。
 
「見ていない」ものは「ない」ものではない。特にいじめや虐待や性暴力は、私たちが「見ていない」場所で行われる。私たちは、自分が見聞きできる範囲のことしか把握できないというだけだ。そして、いじめや虐待や性暴力の被害者は、自分が被害者であると名乗り出ることは少ない。それは社会の中に、そういった被害者の口を塞ぐ圧力が存在しているからだ。
こうした「見ていない」場所で行われる暴力、そして、被害者の口を塞ぐ社会的圧力が存在している暴力は、私たちが日常把握している以上に行われているということである。