yuhka-unoの日記

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内診は性行為と同じ―私をレイプしない産婦人科医が良い

日本の子宮がん検診受診率は先進国の中でもダントツに低い20%台前半です。
婦人科腫瘍専門医の友達が、その専門医試験の面接で言われたところによると、

子宮がん検診の受診率は啓発では上がらない

のだそうです。啓発をしている者としては大変悲しいですが、やっぱり、検診が大事だと分かっていても別のところにハードルがあるという人は多いのだと思います。そして、「まあ自分は大丈夫だろう」と思ってしまう・・
子宮がん検診のハードルを下げる方法|宋美玄オフィシャルブログ「〜オンナの健康ラボ〜」Powered by Ameba

子宮癌検診のハードルについては、私もハードルを感じる者の一人として、以前から色々と思うことがあったので、書いてみる。
 
まず、どうすれば自分は内診を受けようという気になるか、ということを考えてみると、緊急を要する場合ならば、諦めて医師の前で股を開く覚悟はできたとしても、そうでない限りは、いきなり初対面の医師相手に股を開くことはしたくない。まず婦人科医に色々相談に乗ってもらって、自分がその婦人科医を信頼できると判断した段階になってから、はじめて内診台に上がりたいと思っているのだが、よく考えてみたらこれはセックスと同じだ。
股を開いて膣に何かを突っ込まれるという点では、セックスも内診も同じだ。信頼関係が築けた相手でないとなかなか難しい。その信頼関係というのは、「この人は、私の心と体を乱暴に扱ったりはしない」というものだ。ということは、有無を言わせぬ態度で内診台へ上げられてしまい、いきなり膣に何かを突っ込まれるのは、レイプと一緒ということになる。産婦人科への心理的ハードルというのは、言ってみれば、医師から性暴力を受けるのではないかという不安感だったのだ。
「行かないと大変なことになるよ!」と啓蒙することは大事でも、産婦人科に対する心理的ハードルを下げないことには、婦人科へ行く人は増えないんじゃないかと思っていたけれど、つまりそれは、病気になるリスクと、性暴力を受けるリスクを天秤にかけて、後者のリスクを回避している人が多いということになるのではないだろうか。そう考えると、受診しない人たちは、ある意味合理的な選択をしていると言える。

具体的な支援者による暴力のサイクルとして、マツウラ氏は「脅す」→「あぶり出し、呼び寄せる」→「支援/支配する」というモデルを提示している。まず「脅す」では、例えば母親に対して「DVを目撃した子どもたちは女の子なら将来被害者に、男の子なら将来加害者になる」と繰り返し言ったりして、支援者のもとに来て支援を受けるよう圧力をかける。
DV被害者支援を志す人はマツウラマムコ著「『二次被害』は終わらない」に絶望せよ

これはDV被害者支援の話だけれど、これと同じようなことが、子宮癌検診の啓蒙でも見られると思う。もちろん、病気のリスクについて啓蒙することは大事なことだけれど、「内診=性行為」と考えるならば、「行かないと大変なことになるよ!」という言い方で啓蒙するのは、「脅して、呼び寄せ、性行為を受け入れさせる」ということになり、これはけっこうレイプ的だと思う。「脅し」や「不安感」よりも、「安心感」のほうを提示して欲しい。
 
内診の心理的ハードルの高さの中に、「医師に言われたら、断りにくい」というものがあると思う。私は、内診を受ける際は、内診する必要性について、きちんと説明を受けて自分で納得してから、内診台に上がりたいと思う。相手の医師が私の意志を尊重してくれる人だった場合は良いけれど、そうでなくて、碌に説明もせず「はい、下着を脱いで、ここに上がって」みたいに言われてしまった場合、私はそれを断れるのかと考えると、なかなか難しいと思う。
私たちが何かを断れるのは、それを「断っても良い」という教育を受けているからだと思う。望まぬ性行為を断れるのは、親や社会から「これは断っても良いことだ」という教育を受けてきたからだ。「断る」という行為は、幼い頃からその行為を学習し、「これは断っても良いことだ」と、腹の底から信じられるようになって、できるようになるのだと思う。逆に言えば、頭では理解していても、腹の底から信じることができなければ、人はなかなか断れないと思う。なぜなら、「断る」という行為は、相手を不機嫌にさせる可能性が高い行為だからだ。養育者から性的虐待を受けて育った人は、性行為を断る能力が十分に身についていないことが多いという。「性行為を断ってはいけない」という教育を受けてきたからだ。
そう考えると、私は、医師が碌に説明もせず内診を受けさせようとした場合、「NO」と言う教育を受けてきていないのだと思う。理屈で考えれば、説明を求めたり断ったりしても良いのだとわかる。でも、腹の底から「これは断っても良いことだ」と思えていないということなのだろう。「医師の性暴力的な態度に対しては、NOと言っても良い」という社会的な合意形成が欲しい。
 
私は、子宮癌検診の受診率を上げるためには、まず産婦人科に対する抵抗感をなくし、産婦人科の受診率を上げることが必要だと思う。「内診=性行為」ということで捉えるなら、「子宮癌検診に来て」と言われるのは、いきなり「セックスしに来て」と言われるようなもので、ハードルが高い。「産婦人科に来て」と言われるほうが、ハードルが低いと思う。
そのために、社会全体で、「生理が来る年齢になったら、産婦人科に行くのは当たり前」という意識が根付いて欲しい。成人してから行く習慣を身につけるのは、なかなか難しいと思う。日本では、産婦人科のことを「性行為経験のある人が行くところ」だと思っている人が多いと思う。これは、「婦人科疾患=性行為が原因でなるもの」という偏見があるからだろう。子宮頸癌の原因になるヒトパピローマウイルスは、性行為で感染するものだけれど、カンジダ膣炎子宮内膜症など、性行為経験のない人でもなる病気はある。産婦人科が、10代の女性や性行為経験のない女性にとって、とてもハードルが高いところになっていることも、問題だと思う。
子宮癌検診を啓蒙することも大事だけれど、学生とその親御さん向けに、「生理が来たら産婦人科へ」という啓蒙を、ばんばんやって欲しい。テレビで、生理痛が酷くて保健室で休んでいる女子学生に、養護の先生が婦人科に行くことを勧めて、後日女子学生が友達と一緒に婦人科を訪れるとか、そういう内容のCMを流して欲しい。こうすることによって、10代の女性に対して婦人科へのハードルを下げるだけでなく、全ての世代の人に「今の時代は、生理が来る年齢になったら、婦人科へ行くのは当たり前なのね〜」と思わせて、10代で婦人科に来ている子への偏見をなくし、前世代的に婦人科に対するハードルを下げることも狙うのだ。「今はそういう時代だから」ということにしてしまえば、10代女性だけでなく、その上の世代の女性たちも行きやすくなると思う。
まぁ、この手のことを呼びかけると、「10代の女の子に産婦人科なんかに行ってほしくない!」ってゴネ出すおっさんが出てきそうだけど、「将来、子供が産めなくなる可能性があるから〜」とか言って、黙ってもらおう。
 

 どうして、欧米各国の子宮頸がん検診受診率は高いのか―。その答えを探していたところ、スペインの婦人腫瘍学の医師で、政府の医学・医療分野の顧問も務めるハビエル・コルテス・ボルドイ氏(Javier Cortes Bordoy,MD)の発表で大変興味深い話を聞いた。ヨーロッパの女性の半数以上には、10代のころからかかりつけの産婦人科医がいて、その医師や母親が女性の健康教育に重要な役割を果たしているというのだ。

 つまり、性体験のないころから、かかりつけの産婦人科医がいて、診察や検査を受けるのが当たり前のように考えられていることがうかがえる。

 日本は子宮頸がんとHPVに関する知識がないから、検診受診率が低いのだろうか。

 前出のボルドイ氏の調査によると、ヨーロッパの女性で「子宮頸がんはHPVというウイルスの感染によって発症する」と答えられた人は1〜3割程度だった。つまり、欧米では子宮頸がん検診受診率は高いものの、子宮頸がんとHPVに関する知識のある人は少ないといえる。

子宮頸がん検診の受診率を高めるために日本は何をすべきか:がんナビ

産婦人科に行くのが当たり前の欧米において、子宮頸癌についての知識が十分でなくとも受診率が高いのは、頷ける話だ。なぜなら、日本においても、内科や耳鼻科や眼科には、疾患の知識が十分でなくとも、特に抵抗感なく行く人は沢山いると思うからだ。知識に訴えて効果が見込めるのは、そもそも受診に抵抗感がない場合なのだろう。産婦人科に行く習慣が土台だとすれば、日本は、そもそも土台固めができていない状態と言えるのではないだろうか。
「子宮がん検診のハードルを下げる方法」とは、実のところ、「産婦人科に行く習慣を身につける方法」なのかもしれない。ここ10年で精神科に対するハードルは随分下がったと思うけど、産婦人科もそれぐらい下がって、生理が来る年齢になったら産婦人科にかかるというふうになって欲しい。日本が先進国の中で子宮癌検診の受診率がダントツに低いということは、何かしら社会的な原因があるからであって、検診を受けないのを個人の意識のせいにするのは、少子化について社会背景を論じずに「女性が悪い」「若者が悪い」と言い出すのと同じだと思う。
また、産婦人科に行って嫌な思いをした人が、その後産婦人科に行きたくなくなるのは、男性からセクハラや性暴力の被害に遭った人が、男性恐怖症になるのと同じで、ごく当たり前のことだと思う。そこで「でも、産婦人科に行かないと、病気のリスクがあるでしょ」と言っても、そんなことは本人も既にわかっていることなのではないだろうか。むしろ、「産婦人科に行かないと病気のリスクがあるが、でも産婦人科に行けない」というのが、本人が抱えている問題なのではないだろうか。性暴力被害に遭った人にとって、「男性に慣れないと通常の社会生活が営めないが、でも男性が怖い」というのが、本人が抱えている問題なのと同じで。産婦人科で嫌な思いをした人に対しては、セクハラや性暴力の被害に遭った人と同様のケアや対応が必要だと思う。