yuhka-unoの日記

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「そんな○○ばかりじゃない。(自分みたいな)ちゃんとした○○もいる」とアピールすることについて

少年アヤちゃん @omansiru のピル(OC)に関するつぶやきと反響 - Togetter

 
上のリンク先の内容について、「そんな男ばかりじゃない。(自分みたいな)ちゃんとした男もいる」とアピールしてくる人がいたが、「そんな男ばかりじゃない」ことはもちろん知ってる。そして、本当に「そんな男じゃない」男性は、上のリンク先のようなものを読んだら、まずピルを取り巻く問題について考えるので、「男が攻撃されている!」とも受け取らないし、わざわざ「そんな男ばかりじゃない」と言わないということも知ってる。
「こんなブラック企業があって、大変な目にあった」と話してるところに、「そうやって感情吐き出してるだけじゃ解決しないよ」「経営者にわかるように話さないと理解されないよ」などと言うことは無意味だ。 そして、「そんな経営者ばっかりじゃないよ!(自分みたいな)ちゃんとした経営者もいるよ!」とわざわざ言ってくる経営者がいたら、その人はかなり的外れだ。 本当にブラック企業が嫌で、問題だ、なくしていきたいと思ってる経営者は、まず現実に存在しているブラック企業の問題について考えたり話したりするはずだ。わざわざ「そんな経営者ばっかりじゃないよ!(自分みたいな)ちゃんとした経営者もいるよ!」などと言ったりしないだろう。
これは、前回エントリで書いた『「俺を傷つけないような言い方をしろよぉ!」という、抑圧者の甘え』と、根っこが同じなのだと思う。抑圧されている側が受けている被害について考えるより先に、「自分が攻撃されている!」という思いが先に立つのだろう。
「クラスでいじめに遭っている」と訴える子に対して、「確かにあなたをいじめる馬鹿な子もいるかもしれないけど、みんながみんなあなたをいじめているわけではないでしょ」と言うだけの教師は、今現在、実際にその子がいじめ被害を受けているということを無視して、何もせずにいじめを放置しているだけだ。
 
例えば、虐待体験について語っているところへ、「そんな親ばかりじゃない。(自分みたいな)ちゃんとした親もいる」と言ってくる人がいたら、私はその親こそが虐待親メンタリティに近いと判断する。本当のところは虐待被害者には無関心で、私から「虐待しない親」というお墨付きが欲しいだけなんですね、と。良い親になるための努力をすっ飛ばして、子供に「自分を良い親として扱え」と要求し、自分のことを「良い親」だと思い込んでいるのは、典型的な虐待親メンタリティだ。 つまり、「そんな○○ばかりじゃない。(自分みたいな)ちゃんとした○○もいる」とわざわざ言うのは、本当は相手の抱えている問題には無関心で他人事だけれど、相手から「意識の高いワタシ」「差別しない偏見のないボク」というお墨付きだけは欲しい、ということなのだろう。
そもそも、「そんな○○ばかりじゃない。(自分みたいな)ちゃんとした○○もいる」というのは、自分からアピールするものではないと思う。虐待について知れば知るほど、虐待は誰でもしてしまう可能性のあるもので、自分もまた無自覚に虐待の加害者になりかねないものなのだということがわかる。差別についても同じだ。差別のある環境で生きていると、差別心は無意識レベルに植えつけられ、内面化される。それはマイノリティですらそうで、マジョリティなら尚更だ。マジョリティ側の人間は特に、自分が本当に「ちゃんとした○○」なのか、自分ではわからないものなのだ。差別や偏見は無自覚になされるものであるのに、「そんな○○ばかりじゃない。(自分みたいな)ちゃんとした○○もいる」と、なぜ言い切れるのだろう。本当に「ちゃんとした○○」になりたかったら、そんな無意味なアピールをする前に、その問題について知って考えようとするはずだ。
 
あと、ピルについて「女がちゃんと教えてくれなきゃ」と言っている人がいるけれど、ピルは、女が男に教えるものではなく、本来は性教育で教えるものだと思う。女の私だって、性教育でピルについて「ちゃんと教えて」欲しかった。ピルについて知りたかったら、女に訊く前に、目の前の機械でいくらでも調べられる。
これは、「家事のできない夫には、妻がちゃんと教えてあげて。できるようになるまで根気良く、褒めてあげて云々」と言う言説に似ている。本来、家事は妻が教えるものではなく、親が(「母親が」ではなく「親」が!)教えるものだ。親が男の子に家事を教えていない尻拭いを妻がしなければならない現状がおかしい。妻に家事を教わるとしても、妻は本来、そういう役割や責任を負う立場ではないということを意識しておく必要はある。
ピルについてちゃんと教えてくれなかった日本の性教育に批難の矛先を向けるべきであって、女に対して「俺を攻撃するな!」「女がちゃんと教えてくれなきゃ」と言うのは違う。女だって、性教育でピルについて教わっていないのだから、知らない人が多いし、知っている人は自分で調べて知ってるのだ。
ピル周辺の問題と、他の薬や病気に対する単なる無知さと違うところは、性差別的な偏見が存在するところだ。「童貞だから、女性と付き合う機会なんてないから関係ない」という意見も見られたが、偏見を撒き散らしてしまうのなら関係ないことではない。この問題について、日本の性教育の一番の被害者は、「ピルについてちゃんとした知識を教わる機会がなかったがゆえに、偏見を持ってしまうボク」ではない。「黒人を差別する社会に生まれたせいで黒人を差別してしまうボクだって被害者だ!被害者に対してなんてことを言うんだ!」と黒人に向かって言う白人って、どうなんでしょうね。
 
〔追記〕

アルジェリア人質殺害事件とメディアスクラム|佐々木俊尚 blog
 
 そうやって実名や遺族取材は一律に認めさせようと思うくせに、メディアスクラムに関しては「そういう記者ばかりじゃない」となぜか例外的に扱うのはあまりにも変だ。

 要するにマスメディアの業界の人は、遺族取材に対する批判にこたえるときに、「初動取材のメディアスクラム」のことは意識的にスルーして、「事件その後のじっくり遺族取材」の素晴らしさや困難さばかりを口にする。これはあまりにもずるいよね。業界外の人が取材の実態を知らないからとたかをくくって、「不都合な真実」を秘匿してると言われてもしかたないのでは?

 取材は個別に努力し、しかしメディアスクラムに関しては例外として扱わず、実はいまの新聞社やテレビ局における内在的な問題として対処する。そっちの方が正しいと思うんだけど。

まさしくこのこと。アルジェリア人質殺害事件において、遺族側に対する実名報道や取材の問題について指摘された時の、マスメディア業界の人たちのメディアスクラムのスルーっぷりが、差別する側とされる側、虐待やいじめの加害者と被害者の間にある意識の剥離と話の通じなさそのままだ。