yuhka-unoの日記

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選挙に行かない人に「なんで行かないの?」と聞くこと自体が、何か違うんじゃないのか

選挙に行かない君へ | 乙武洋匡オフィシャルサイト

今回の選挙に関するネット上の色々な話を読んで思ったことのひとつとして、選挙に行かない人が「なんで選挙に行かないの?」と聞かれて言う答えは、はたして本音なのだろうか?という疑問が湧き上がって来た。なので、選挙に行かない人たちが選挙に行かない理由を、自分なりに考えてみた。
 
私自身は、今まで選挙にはほぼ毎回行っているけれど、反原発デモとかそういう運動には行ったことがない。理由は出不精でめんどくさいからだ。それを考えると、投票に行かない人の投票に行かない理由も、そんなもんなんじゃね?と思えてきた。
だったら、どういう反原発デモなら、私は行こうという気になれるだろうか。少なくとも、反原発デモに行っている人が、自分自身のことを「意識の高いシミン」みたいに思っていて、行かない人を「意識の低いシミン」と見なしているような、そういう雰囲気になっているところは、行こうと思うことはまずないだろう。
ああいった運動とか活動というのは、とにかく「自分は積極的に真剣に活動している、意識の高いシミンです!」という自己満足アピールをすることが目的化してきて、当初の目的を見失い、仲間を縛りつけようとするような方向に行ってしまい、その結果として内ゲバ状態になってしまって敬遠されてしまうというのは、過去の様々な活動から見てもよくあることだ。
内ゲバ状態になるのを避けるためには、来るもの拒まず去る者追わず、無理なく自分がやりたい時に自分のペースでやれるようにしておくことが肝心で、皆が自主的に参加したいと思える活動にすること、つまり、活動自体を「魅力的」にしようと努力する必要があると思う。まぁそういう運動とかしたことのない私が言うのもなんだけど。
 

選挙に行かない人が理由としてよく言う「自分の一票で何かが変わるとは思えないから」は、どうも本音だとは思えない。なぜなら、私が反原発デモに行かない理由は、「自分一人が行ったところで、何かが変わるとは思えないから」ではないからだ。理由は、先に述べたように、まず出不精でめんどくさいからだし、あと、なんとなく「知り合いに会ったら嫌だな」という思いがある。この思いをもっと掘り下げて考えてみると、どうも「意識の高い自分」になるのが嫌なんじゃないのかと思えてきた。例えば、私の弟は、中学校の性教育の時、至極真面目に授業を受けたかったのだが、他のアホ男子に「お前何真面目に受けちゃってんの?(笑)」とからかわれるのが嫌で、真面目になりにくい空気があったと言っていたけれど、それに近い感じなのかもしれない。ガリ勉だと言われたくないとか、それに近いものがある。
そうすると、選挙も反原発デモも、行かない人に「なんで行かないの?」と聞くこと自体が、何か違うんじゃないかという気がしてきた。だいたい、選挙も反原発デモも、「行く理由」はあっても「行かない理由」なんてそんなもんだと思う。理由が明確にあるのは「行く人」のほうなのだ。ということは、選挙に行かない人に「なんで行かないの?」と聞くのではなく、どうしたら自主的に選挙に行きたいと思ってもらえるのかを考える必要があるんじゃないだろうか。
 

特別寄稿・小田嶋隆  生まれ変わるための便所掃除のすすめ <衆院選・特別コラム>(gooニュース) - goo ニュース

 ただ、「反省」という言葉は使いたくない。というのも、投票を「モラル」みたいなことにしたくないからだ。

 若い人たちが選挙に行かない理由のひとつに、投票が「市民の義務」であり「公共のモラル」であり「当然のマナー」であり「守るべきルール」であるみたいな世間の風潮があると思う。私自身そうだったが、若い人というのはとにかく強制が大嫌いなのだ。

 わたくしども投票回避党の人間は、バカげた政治の現実や、薄汚れた候補者の実態や、やかましいだけの選挙運動のありかたに耐えることができない。だから、考えるだけで気持ちが悪くなって、それでどうしても投票所に一歩を踏み出すことができなくなってしまうのである。

選挙に行かないことで有名な小田嶋隆氏のこのコラムは面白かった。これを私に当てはめるなら、「結婚式ソング嫌い」に相当するかもしれない。
私が「親感謝ソング嫌い」なことは、過去のエントリ『Mother―生身のジョン・レノン―』で述べたが、実は結婚式ソングもけっこう地雷が多い。理由は、私の両親の仲が悪かったからだ。特に両親が離婚する前後ぐらいの時期は、双方から延々と愚痴を聞かされ、私はそれに黙って耐えるしかなかった。直接ぶつからない両親の伝言係をやらされたこともある。そんなこんなで、自分で恋愛を体験する前に、結婚というもののドロドロを見てしまった私は、「私たち、幸せになるのね!キラキラッ☆」なノリの結婚式ソングが受け付けなくなってしまった。「まぁ、今日は今までのどんな君より美しかったとしても、明日になったら眉毛も描いてないスッピンとパンイチ姿でご対面ですよね」と思ってしまうのだ(鼻くそほじりながら)。しかも結婚式というやつには、なぜか決まって「両親への感謝の手紙」というイベントがある。もうこの時点で私はゲロゲロしてくるのだ。
なので私は、「まぁ色々心配とか不安とかあっても、別れる時には別れるんだから、ぐだぐだ言っててもしょうがないよね」「あなたが髭を剃っている横で、私はワキ毛を剃っている、そんな生活が始まるわけですね」というノリの結婚式ソングを希望している。
 
というわけで、選挙というものもこれと似ているのではないだろうか、と思えてきた。結婚式がいくらキラキラしたイメージで溢れていても、現実の結婚生活はまぁそんなにキラキラしたものではないように、選挙の時に「清き一票!明るい選挙!キラキラッ☆」というイメージを作り出してアピールしていても、現実の政治は全然清くも明るくもないし、キラキラどころか、「ごきげんよう」の後にやっている昼ドラ以上にドロドロしている。
それならば、成人式で配られたらしいDVDの「せーんきょ せんきょ 明るい選挙ー」という歌詞の選挙PRソングよりも、「はいはい選挙選挙」「さぁ今回も政治家さんたちのドロドロした攻防を見せつけられる時期がやってまいりましたよ」「この中から選ぶんだってさ!キラキラッ☆」みたいなノリの選挙PRソングのほうが、逆に良いのかもしれない。選挙にしろ反原発デモにしろ、特に意識の高いシミンでもなく、良識あるコクミンでもなく、寝転がりながら煎餅食べるような、のんべんだらりとしたノリで行けたほうが良いのだろう。
それに、「若い人というのはとにかく強制が大嫌い」というのは、確かにそうだ。もしオッサンに「ほう、キミは若いのに選挙に行っているのか。偉いねぇ、関心関心」なんて言われようものなら、虫唾が走る。私は決して年長者世代に言われたから選挙に行っているわけではないのだ。私は、私自身と、次の世代の人たちのために選挙に行きたい。
 

なるほど、確かにそうだ。「女性が声をあげないから女性差別が…」ではなく、「女性が声をあげやすい社会にしていくにはどうしたら良いのか」を考える必要があるように、「若者が投票に行かないから…」ではなく、「若者が投票に行きやすいようにするにはどうしたら良いのか」を考える必要がある。そういう点では、現代日本社会は、仕事や子育てに忙しい若い世代が投票に行きやすい環境とは言えないだろう。
そもそも投票は義務ではなく権利だ。学校に行くのが権利であって義務ではないように。今回の投票率は59.32%で戦後最低だったそうだが、選挙棄権を不登校に例えるなら、この国は40%もの生徒が不登校の学校のようなものだ。これは明らかに不登校児ではなく学校側に問題がある。そんな学校が「学校に来ないのは不登校児のわがままだ」と言っていたら、「そういう認識だから生徒が来ないんだろ?」と思われてしまうだろう。
学校側は何も変わる気がないのに、「学校に行って勉強しなかったら、将来困るよ。それでも良いの?」とだけ言ったところで、不登校児だってそんなことは百も承知なのだから、学校に来るようになるわけがないのだろう。「諦めんなよ!どうしてやめるんだそこで!頑張れ頑張れ頑張れできるできるできる!」とハッパをかけるのも、「うるせぇほっとけ」と思われるだけで、逆効果なのかもしれない。そういう状況の中で、学校に行っている子たちが、「ボクたちは、ちゃんと学校に通っている、真面目で良識のあるいい子だもんねー!」みたいな意識でいたのでは、そりゃ学校に行くのは嫌になるなぁ。
 
投票しない人を「非国民」みたいに言うのは、震災の時に「自粛」「不謹慎」と言っていたような、同調圧力のようなものを感じる。そういった同調圧力で、選挙に行かない人が選挙に行くようになることは、まずないのだろう。やたらポジティブでキラキラした雰囲気を漂わせて「ねぇ行こうよ行こうよ!これであなたの人生が変わるんだよ!」と迫って、行かない人を貶すようなやり方は、しつこい宗教の勧誘に似ている。選挙に行かない人に対しては、しつこい宗教の勧誘のようなことをするよりも、鼻くそほじりながら選挙に行ける雰囲気作りを心がけたほうが良いのかもしれない。
若者に選挙に行ってほしいと思っている人は、何かしらオッサン世代のやり方に不満を持っている人が多いんじゃないだろうか。私自身、オッサン世代に対して、「『近頃の若者は内向きで覇気がない!若者よ立ち上がれ!』とか言ってるけど、若者自身のために立ち上がれって言ってるわけじゃなくて、結局『俺たちのために立ち上がってくれよぉ!』ってのが本音だろ。若者に頼らず自分でやれよケッ」と思っている。だとしたら、自分がされたら嫌なオッサン的な押し付けを、選挙に行かない人に対してやるのは、何か違うんじゃないかと思えてきたよ。
 
―Give Peace a Chance(平和を我等に)―

 
〔追記〕
続きを書きました。
今一度、「なんで選挙に行くの?」と、自分自身に聞いてみる