家事能力とアダルトチルドレン―妻は夫に家事を教えて当たり前ではない
―― 一方、共働き家庭では、家事ができない夫に対して妻が家事を教えてあげるのは当たり前ですよね。だから妻のダメ出しを、ことさら問題視する必要はないのではありませんか。
田中:ですが、「女性が当たり前にやっていることなのに、どうして男性はできないの…」という意識でダメ出しするだけなら、そこでおしまいになってしまいます。例えば仕事では、新人に「そんなこともできないの!」と叱ったら、言われた新人は萎縮してしまいますよね。
夫が家事ができなくても、きつい言い方や上から目線での話ではなく、褒めてあげつつ、優しく仕事を教えるつもりで接するほうが良いと思います。男性が喜ぶ「さしすせそ」はご存じですか。
―― 知りません…。
田中:「さ」は「さすが」、「し」は「知らなかった、そんなやり方があるんだ」、「す」は「すごい」、「せ」は「先輩だから」、「そ」は「そうなんですか」。男女平等という観点からはどうかと思いますが、現実的には、女性が下手に出ると男性は喜んで受け入れてしまいます。
理想は「家事を平等に分担するのは当たり前なんだ」というところまで男性の意識を持っていきたいですが、現実的な戦略として、夫婦が家事をうまく分担するには上記のような手を使って褒めていくのは「あり」だと思います。
妻よ、家事能力の低い夫を叱らないで :日本経済新聞
この手の話では、いつも妻が夫に家事を教えてあげる話になるのだが、まず、妻は夫に家事を教えてあげるのは当たり前ではない。女性の中にも、たまに家事を全くやってこなかった人はいるが、夫が教えてくれるわけではないケースのほうが多いだろう。そもそも、夫も家事能力が低い場合が多いからだ。
では、家事を全くやってなかった女性はどうするのかというと、たぶん、結婚という話が持ち上がった時点で、「やばい!私家事全然できない!」と思って、「花嫁修業」というやつをするんじゃないかな。そして、その場合は、家事を教わる相手はまず自分の親であり、親に教わることができない場合は、本なりネットなり料理教室の先生から教わろうとするものだろう。なので、家事を全くやってこなかった男性も、結婚前から「花婿修業」をすれば良いと思う。
問題は、なぜ男性は、結婚という話になった時点で「やばい!俺家事全然できない!」と思って「花婿修業」をしようと思うのではなく、「結婚してから、妻に教えてもらおう」と思ってしまうのか、ということだ。
家事というのは、まず第一に、自分で自分の世話ができるようになる、つまり、自立して生きていくためのスキルであり、子供ができた場合は、子供を育てていくためのスキルだと思う。なので、家事能力を身に付けることができなかった人は、常に家事を誰かに依存して生きていかなければならなくなる。家事を他者に依存するしかない人は、家事をしてくれる人、大抵は母親か妻ということになるが、その人がいなければ生きていけない状態になってしまう。
かつては、女性に教育を受けさせないことによって、女性は男性に依存して生きていかざるをえなくなり、男性に家事を教えないことによって、男性は女性に依存して生きていかざるをえなくなるという、共依存社会だったのだろう。それが当たり前だった時代は、男性の女性に対する家事依存が表面化しにくい時代だったのだろうが、それでも、夫が退職して依存の均衡が崩れたり、妻のほうが先に介護が必要になったり亡くなったりして、依存できる相手がいなくなった時に、表面化してしまう。一方、共働きが当たり前の現代においては、結婚生活を始めた時点で、問題が表面化することになるのだろう。
子育ての目的が、子供を自立して生きていける状態にすることなら、私は、現代において、子供に家事を教えないのは、虐待と言っても良いと思う。これは、親から不適切な養育をされたアダルトチルドレンの問題とも重なってくる。アダルトチルドレンは、自分の意思で自分の人生を選択して生きていくことができなかったり、愛情不足で育ったために自己肯定感が十分でなかったり、人とのコミュニケーションのとり方に困難さを抱えていたりと、どこかの面で、自立して生きていくために必要なことが身についていなかったりする。そのため、無意識のうちに他者に依存したり依存されたりしてしまう。私は、親から家事を教わってこなかった人も、ある種のアダルトチルドレンなのだと思う。
現状起きている問題は、親が息子に家事を教えなかった尻拭いを、妻がさせられているという構造である。アダルトチルドレンの責任がまず親にあるように、家事を教わってこなかった人の責任も、ます親にある。
では、アダルトチルドレンの人が、自分がアダルトチルドレンだと気づいた時にどうすべきなのかというと、「自分で自分を育てようとする」ということだ。そのために、本を読んだりネットで調べたり、精神科医やカウンセラーの助けを借りたり、自助グループに行ったりする。アダルトチルドレンに対する受け入れや理解は絶対に必要だと思うが、その「受け入れ」や「理解」とは、その人の親代わりになってあげることではない。
大人になってからは、誰かに無償で自分の親代わりになってもらえることなんて、そうそうない。大人の世界では、時間や労力を割いて大人を育てるのは、プロの仕事だ。たまに、親的な愛情を与えてくれる人が現れることはあっても、それはあくまでもその人の好意で行われることであって、「当たり前」のことではないのだ。
自分が親から必要なものを与えられなかったということ自体は不運だが、だからといって、他人に対して、「私は親から必要なものを与えられてこなかったんだから、あなたは私の親代わりになってくれて当然でしょ」などという態度を取っては、相手にとってはとてつもない負担になる。それは依存であり、虐待の連鎖だ。もし親代わりが必要なら、他人に無償かつ無制限に求めるのではなく、カウンセラー等のプロに頼るのが健全だ。もっとも、カウンセリングを受けるにしても、「自分で自分を育てようとする」ということが根底にない人は、いつまでたっても自立に向かってはいけないのだが。
というわけで、家事能力を身に付けるにしても、私は、「自分で自分を育てようとする」という意識がない人は、本当の意味で家事の担い手にはなっていけないのではないかと思う。妻が夫を「合コンさしすせそ」のテクニック等で褒めて持ち上げても、一時的には家事をするかもしれないが、結局、褒めなければやらない小学生レベル止まりにしかならないのではないだろうか。対等な家庭運営のパートナーとして家事を担うようになってくれるのかどうかは、疑問である。
家事を教わってこなかった夫がやるべきことは、妻に親代わりになってもらおうとすることではなく、アダルトチルドレンの人たちがそうするように、まず、本を読んだりネットで調べたり、料理教室の先生などプロの助けを借りようとすることではないだろうか。多くの妻が苛立っているのは、夫に家事能力が身についていないことそのものよりも、「自分で自分を育てようとする」という態度を見せず、妻に依存しようとする態度を取ることだと思う。それは、アダルトチルドレンが育ってきた境遇には理解を示せても、依存されて親代わりになってあげることまでは引き受けられないのと同じだ。
夫にやる気があるのなら、家事を教えても良いという妻は、沢山いると思う。けれど、「基本的には自分でできるようにならなければいけないものだ」と思っている人と、「君が教えてくれて当然だろ」と思っている人を教えるのとでは、大きな違いがあるだろう。
だいたい、他人に家事のやり方を教えるのは、すごい負担なんだよ。よくネット上では、IT機器の使い方がわからない親に使い方を教える時の悲哀や苦労話があるけれど、大の大人に家事を教えるのは、あれに近いものがある。竹信三恵子氏が、家事労働にかかる負担や時間がないことにされている・軽視されていることを「家事労働ハラスメント」と言っていたけれど、妻が夫に家事を教える負担や時間がないことにされる・軽視されるのも、「家事労働ハラスメント」の中に入ると思う。
私は未婚者なので、夫婦間のことについては経験がないが、私が育ってきた家庭では、母が、私には家事を仕込んでも、なぜか弟には一切家事を教えなかったので、私は「今の時代に、家事ができない男なんてありえない」と思って、なんとか弟に家事を教えようとしてきた。これはあくまでも私個人の経験に過ぎないが、結果としては、叱ってみせようが、優しく言って褒めてみせようが、弟は家事の練習をしようとはしなかった。もっとも効果があったと言えるのは、突き放すこと、要するに「家事ボイコット」だ。家事をやるようになるかどうかは、結局、必要に迫られるかどうかだったのだ。「叱らずに、優しく教えて」が通用するのは、本人がやる気になってからの話である。
そもそも、仕事のやり方だって子供の育て方だって、義務教育では習わない。それでもできるようになるのは、必要に迫られるからである。というわけで、「合コンさしすせそ」を発動させるよりも、「家事ボイコット」を発動させて突き放したほうが、遥かに効果が高いという場合だってあるだろう。それでも家事をしない場合は、その人は一生家事をしないであろうから、妻のほうが、これから先、本当にこの人と一緒に家庭運営をやっていけるのかということを、考え直す必要に迫られるんじゃないかな。
というか、この手の話って、夫に家事をさせるテクニックとか、夫に家事をさせることに成功した妻の話ばかりが取り上げられるけど、実際には、夫が家事をやるようになるかどうかは、妻側の働きかけよりも、夫の資質によるところが大きいのではないだろうか。虐待関係にあった親子が、最終的に良好な関係を築き治せるか、子供が親と縁を切ることになるかは、子供側の働きかけよりも、親の資質によるところが大きいのと同じで。結局のところ、「やらない人はやらない」というのが現実なんじゃないかと思う。
というわけで、夫に家事をさせることに成功した妻の話だけじゃなくて、共働きなのに夫が家事をしなかったことが原因で離婚した妻同士の語らいとかもあったら、面白いんじゃないかな?(笑)