yuhka-unoの日記

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成長を停滞させる共依存社会

第4部 予め失われた人生−1、生まれながらに人生を奪われた子ども -あなたの子どもを加害者にしないために
 
このように互いを道具にしあう人間関係を「共依存」と言います。それが自律した人間関係なのか、共依存なのかの違いはただ一つです。自律した人間関係であれば、一緒になって以降成長・成熟していきますが、共依存であれば一緒になった時点で成長はストップします。なぜなら、自分の現状を維持強化するために“道具(相手)”を選んでいるからです。

私自身、機能不全家庭に育ち、共依存的な親を持ってしまった身なので、これは実感している。共依存的でない親は、子供に気付かされて、子供と共に成長していくものなのだろう。しかし、共依存的な親は、成長を拒み、子供に気付かされることを拒否するかのようだ。共依存的な親は、子供に対して、親にとって都合の良い子でいることを強いる。本来の自分を押し込め、親のための子供の演技をさせられている間、その子の精神の肝心な部分は成長しない。共依存的な親は、子供の成長を止めてしまうのだ。
 
私は以前、『いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる』『若者は何も言わず、ただ去るのみ』という記事の中で、機能不全家庭の構造は、そのまま今の日本社会にも当てはまることであり、現代日本は機能不全社会だと書いた。そして、上に挙げたエントリを読んで思ったことは、これはもしかしたら、夫婦に限らず、集団も同じではないだろうか、ということだ。
会社組織や街全体が共依存状態となってしまった場合、その集団の成長は停滞する。国全体が共依存状態となってしまった場合は、国の成長が停滞する。「失われた20年」とは、そういうことなのかもしれない。
 
年長者の中には、「日本の若者は内向きで覇気がない。hungryでfoolishな海外の若者に日本を変えてもらおう」と言う人たちがいるが、その前に、なぜ日本ではhungryでfoolishな若者が育たず、海外では育つのかを考えたほうが良いと思う。
hungryでfoolishな若者が育つのは、社会がそのような環境になっているからだ。つまり、hungryでfoolishな若者を育む環境は、hungryでfoolishな若者にとって魅力的な環境なのであり、そのような国は、国外のhungryでfoolishな若者にとっても魅力的なので、必然、hungryでfoolishな若者が多く集まるところになるのだ。
逆に言うと、hungryでfoolishな若者が育たない国は、hungryでfoolishな若者にとって魅力の無い、というよりは、居心地の悪い窮屈な国であり、そのような国には、海外からもhungryでfoolishな若者はあまり来ないのではないだろうか。
 

『無医地区問題と医療費についての歴史・・ある医師の, マスコミウオッチより・・・・離島を除いて、無医地区の問題は、本質的には交通問題・・・しかし無医地区の住民に、都会地並の、他人を傷つけないで生活するテクニックが有るか無いかの問題が解決されなければ 駄目』

私は以前、この記事を読んで、これは日本の縮図なのではないかと思った。これは機能不全に陥った共依存村だ。このような共同体では、hungryでfoolishな若者は育たず、仮に現れたとしても、そのような若者は共同体を嫌って外へ出ていき、外から来たhungryでfoolishな人材も留まらず、結局出ていくことになる。
 
共依存的な集団は、その集団に入った人間の成長を止めてしまう。やる気溢れる自由な精神を持った人がやって来ても、その人の能力を活かすことはできない。なぜなら、大抵のhungryでfoolishな精神の持ち主は、自分の居場所を、収入が良いかどうかよりも、自分が成長できて自由に動き回れるかどうかで選ぶからだ。そのような人にとって、自分を縛り付ける共依存的な環境は、強烈なフラストレーションを感じる場所でしかないのだ。
hungryでfoolishな若者に来て欲しかったら、まずこの国を、hungryでfoolishな若者にとって魅力的な国にしておかなければならない。ということは、結局のところ、この国のことは自分たちで何とかしていくしかないのだ。
 
[追記]
機能不全家庭では、必ず誰かに家族の問題のしわ寄せが行く。それと同じように、共依存状態に陥った機能不全社会でも、必ずどこかにしわ寄せがいくのだろう。
そして、その家族のことを正しく認識できるのが、「しわ寄せ」立場の人であるように、その社会のことを正しく認識できるのも、「しわ寄せ」の立場の人たちだ。「しわ寄せ」の立場を免れている人たちは、認識が歪んでいるので、この社会のことを正しく見ることはできない。
 
 
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