yuhka-unoの日記

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論じられるべきは若者ではなく、むしろオヤジのほうだ

 なるほどね。いくら「若者よもっと怒れ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。

 でも、言わせてもらう。

 私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。

 だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。  ともあれ、おめでとう。
 
―2012年1月9日 朝日新聞社説―

色々と話題になって、このブログでも取り上げた、成人の日の朝日新聞の社説について、こんな意見があった。

オヤジによる若者論への違和感 - Togetter
 
なぜ、オヤジは若者論を語るのか。
なぜ、年長の女性はそれをしないのか、について考えました。
 

 
私は、今の時代は、経済的なことはともかく、価値観的には良い時代になってきていて、今の時代に生まれて良かったと思っているのだが、上の女性も、価値観的には良い時代になってきていると思っているそうだ。
そういえば、以前から、的外れな若者論をぶつのは大抵オヤジで、年長者女性はあんまりそういうことを言わないよなぁと思っていたけど、それはつまり、今の時代のほうが良くなってきていると思う人は、的外れな若者論をぶったりしない、というよりは、そもそもそういうことに興味がないのだろう。
経済的にも価値観的にも、良い時代になってきていると思えない、それどころか、悪くなってきていると考えている人が、的外れな若者論をぶつわけだ。そして多くの場合、それはオヤジということなのだろう。
つまり、オヤジは一見幅を利かせているように見えるけれど、実は時代の波から取り残されていて、徐々に居場所がなくなってきているんだな。それで精神的に荒廃してきて、若者に自分の不安感や願望をぶつけているわけだ。そうすると、ちょっとオヤジがかわいそうに思えてきた。
 
以前、唯川恵の「OL10年やりました」という、タイトルそのままの、著者自身の体験を書いた本を読んだことがあった。おそらく、「女は25過ぎたら買い手がつかないクリスマスケーキ」などと言われていた時代の話だと思う。このまま会社にいても自分の居場所がない、未来がない、結婚しか逃げ道がないような、そんな当時の女性の焦燥感みたいなものを感じた。上司のセクハラも酷い。今現在、会社の要職に就いているのは、男性がほとんどで、女性が少ないのは、女性が会社に残れない時代だったからなのだろう。
そういう時代からすると、今はずっと良い時代になっているのだと思う。価値観的には未来があるのだ。その未来を感じられる人は、若者論などに興味はないのだろう。つまり、若者論をぶつオヤジは、未来が感じられない人なのだ。
 
そうすると、本当に当事者意識が必要なのはオヤジのほうだ。「40代の生存戦略」というのは、その通りだったのだ。ただし、いかにこれからの時代に適応していくかという意味での「生存戦略」だ。論じられるべきは若者ではなく、むしろオヤジのほうだったのだ。
オヤジは、若者のことをとやかく言っている場合ではなく、自分たちがこれからどう時代に適応していくのかを考えるべきだ。本だって、「お前が若者を語るな!」「絶望の国の幸福な若者たち」などといった本ではなく、「40代からの現代適応術」「本気で自分を変えたいオヤジへ」みたいな本が書かれて出版されるべきだ。
 
そういえば、「草食(系)男子」という言葉を世に出した深澤真紀氏は、こんなことを言っている。

「草食男子」世代を攻略するマーケティングとは〜対談・深澤真紀 - ヒット研究所 - 日経トレンディネット
 
今の日本男性は、女性の生き方もロールモデルにするようになった初めての存在だと思います。上の世代の男性の成功体験は、若い男性にはまったく有効ではないですが、上の世代の女性は、家庭と仕事の両立したり、会社と戦ってきていますから、若い男性にとっても役に立つ経験を持っています。
(中略)
昔は「女性上司と男性部下はうまくいかない」と言われたものですが、いまでは「男性部下にとって女性の上司のほうがモチベーションがあがる」というデータさえありますから、この組み合わせで、今までにない発想が生まれてくるかもしれませんね。

そういうことだね。オヤジが置いていかれているのだ。