yuhka-unoの日記

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「『俺・私は奴隷主だえらいんだ』大会」は、両者の力関係の問題

「『俺は男だえらいんだ』大会」にはもううんざり、という話 - みやきち日記
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20110810/p1

この記事のブコメで、「女も同じことやってるじゃないか」という声が多いが、その声の大半は、男がいない時に女同士で自分の彼氏や夫の悪口を言うケースで、元記事のように、わざわざその場に恋人を連れてきて、「こいつをこんなふうに扱える俺自慢」をするのとは全然違う。
で、「女も同じことやってるじゃないか」というケースを考えてみたのだが、これに当てはまるのは、母親による「うちの子こんなにできない子なの自慢」や、姑による「うちの嫁はこんなにダメ嫁なの自慢」になると思う。特に姑のケースはわかりやすいだろう。
つまりこれは力関係の問題だ。力関係が強い立場になると、女も同じようなことをする。
 
私は前々から、「熟年離婚」と「良い子がキレる」は同じ構造だと思っている。
熟年離婚」の場合は、夫のほうでは、自分と妻との間に何も問題がないと思い込んでいるが、実は妻のほうでは、長年不満を溜めに溜め込んでおり、ある日突然夫に離婚を言い渡す。夫にとっては晴天の霹靂。
「良い子がキレる」ケースは、親や周囲の大人たちは、子供のことをおとなしい良い子だと思い込んでいるが、実のところ、子供は親に対する不満を溜めに溜め込んでおり、ある日突然爆発させる。「良い子がキレる」事件が起こった時の大人たちの反応は、突然離婚を言い渡された夫の反応に似ていると思う。
力関係の強い者は、無自覚に相手を抑圧し、不満を抑圧された弱者側は、不満が臨界点に達した時にキレる。
 
元記事の「『俺は男だえらいんだ』大会」は、まるで自分の奴隷を連れてきた奴隷主の集まりのようだ。「奴隷を持てる自分」のお披露目大会・自慢大会である。
私は以前、彼女が彼氏の後輩と飲む機会があった時、彼氏が彼女を指して「こいつの乳揉んでいいぞ」と後輩に言い、後輩が彼氏に「ありがとうございます!」と言って、彼女の乳を揉んだという話を聞いたことがあるが、その話にシチュエーションが似ている。自分が奴隷を持っているということを自慢しつつ、自分の「モノ」である奴隷を、気前良く使わせてやるという意識なのだろう。ここでは、彼女を持たざる者でさえ、男であれば奴隷主の側であり、自分はたまたま奴隷が持てていないだけ、という立場になっている。
津波から生き残った女性被災者や、なでしこJAPANの選手を指して「チェンジ」と言うのも、奴隷を選別する目線だ。
 
これは、嫁姑の関係にも見出すことができるだろう。嫁のいない友人が忙しい時に、「うちの嫁使っていいわよ」なんて言いながら、自分の嫁を「貸し出し」してあげる姑はいるものだ。(で、多くの場合、姑本人が手伝いに行くわけではない。)また、自分の部下や後輩を奴隷扱いするケースもよくあると思う。
ここで私が言いたいのは、「この問題は力関係の問題だから、ジェンダーの問題ではない」というわけではない。むしろ力関係はジェンダーの問題でもある。この社会では、全体的には男のほうが女より力関係強いからだ。というより、「男は強くあるべき」という空気が存在している。元記事の彼氏も、人前ではそうしないと格好がつかないと思っている。
 

@NATSU2007 ナツ
"お前らを性的価値という基準ひとつで地に落とせる俺(たち)は男だえらいんだ"…という思考回路がウザいんだと何度言っても「俺に価値を認められないから怒ってる/嫉妬してるだけだろ」と言い出すので治癒不可能。
http://twitter.com/#!/NATSU2007/status/101298336249806850

処女厨など、ミソジニーを抱える非モテが、なぜ「俺を批難する女は、俺に評価されなくて嫉妬している」「俺が評価している女(処女)が俺を批難するはずがない」と思い込むのか、モテないという自覚がありながら、なぜ女は自分に評価されたがっていると思えるのか、ずっと謎だった。
これは、たとえ自分は奴隷を手に入れられていなくて、他の奴隷を持っている男たちから見下される立場だったとしても、自分はあくまでも奴隷を持つ側・選別する側の人間だという感覚なのだろう。「奴隷制さえなければ自分は見下されずに済むのに」ではなく、「奴隷さえ手に入れば見下されずに済むのに」という思考回路なわけだ。そして、全ての女は、自分たち男に「優秀な奴隷」として評価されたがっており、「奴隷として不適格」と評価された女は、「奴隷として適格」と評価された女に嫉妬すると思い込んでいる。
だが、「お前は奴隷として適格」という目線も、「お前は奴隷として不適格」という目線も、どちらも気持ち悪いことに変わりはない。だから批難されているのだ。
 
 [追記]
ちなみに、SMの世界においては、SよりもMのほうが、相手を選ぶ権利の度合いが高いという。つまり、SはMに選ばれてはじめて「ご主人様」になれるのだ。MのSに対する尊敬と信頼なしには、関係は成立しないという。
なので、ここで述べたような「どんなにダメ人間でも、自分はあくまでも奴隷を選ぶ側」という、相手から信頼も尊敬もされない甘えた意識は、SM的文脈とは大きく異なっている。
 
 
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