yuhka-unoの日記

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可愛くない私の自分探し

私は、小学生の頃までは身長が低く、背の順でいつも前から三番目前後の位置にいたのだが、中学三年間で一気に身長が伸びて、いきなり大人っぽくなってしまった。高校生の頃には、私服でいると社会人に間違われていた。20歳頃には、祖母の葬儀の席で、伯父の奥さんに間違われた。伯父は私より40歳近く年上だ。
だから私は、自分が一体何歳に見られてるかが、よくわからない。実年齢より年が上に見えると、皆気を遣って、本当のことを言ってくれないのだ(笑)。
 
若い頃から既に、同年代の女の子が着てるような、可愛い服が似合わなかった。自分が一体どういう格好をすれば良いのか、何を着たら良いのか、わからない時期があった。だから当時は、地味な色の服ばかり着て、スカートは滅多に履かなかった。
最終的に、開き直って、自分の見た目に服を合わせることに落ち着いた。それから、パーソナルカラーという理論を知ったことで、自分に似合う色もわかり、今ではそこそこカラフルな色の服も着るようになった。まぁ、これはこれで楽ではある。今の自分の服装の路線は、おそらく10年後でも十分通用するだろうから。
若く見えなくても、可愛くなくても良い、自分なりに「魅力的」であれば良い、と思った。それは、『自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。』で書いた、親にとって都合の良い、万人受けする「良いお姉ちゃん」じゃなくて良い、幼稚園時代、皆と一緒に行動せず、別室で一人で絵を描いていた私で良い、というのと一緒だ。
 
以前、美容師に、全く自分好みではない髪型を紹介されて、「こっちのほうが可愛い」と言われたことがあった。私の中ではもう既に、「私は可愛くなくて良い」という結論が出た後だったので、その時は違和感を感じた。しかし、「まぁプロの人がそう言うんだし、やってみたら似合うかもしれないし」と思って、その髪型をお願いしてみたのだが、切られていくうちに、気持ちがどんどん沈んでいった。完成しても全然気に入らないし、「これは私じゃない!」と思った。お金と切る前の髪の毛を返して欲しかった。それ以来、自分の要望をはっきりと注文するようになった。
 
服や髪型や化粧が「似合う」というのは、たぶん、単純に見た目だけで決まるものではないのだろう。その人の性格や価値観や生き方を含めての「似合う」なのだ。だから、いくらプロでも、いきなりの初対面で似合う髪型なんて、本当は決められないのかもしれない。
私は、自分より無知な人からお説教されるのは大嫌いだが、逆に、「この人はこの分野に関しては、私より能力が高い」と思ったら、わりと素直に聞き入れてしまう傾向があって、過去にもそれで失敗したことがある。やはり、いくら相手が自分より上でも、「自分」というものは絶対守っておかないといけないということだ。直感で「なんか違う」と思ったら、それは大抵合っている。
 
それにしても、女で若かったら可愛くしなければいけない、可愛くしたいに決まっているという、あれは何なんだろうか。男にも女にもそう思っている人がいる。あの美容師は、私の見た目が可愛くなかったので、「可愛くしてあげたい」と思って下さったんだろうか。余計なお世話というものだ。まぁ、そもそもあの美容師は、確かに髪を切る技術は良かったものの、自分への自信が変な方向に行ってしまったのか、謙虚さがなく、終始、こちらの話を全く聞いていなかった。
 
とにかく「若くあらねばならない」「若く見えなければならない」みたいな風潮は、しんどいなぁと思う。世の中には「年齢に囚われずに、若い人がするようなこともしてみようと思う」と言う人が沢山いるのだから、年齢に囚われずに、ずっと年上の人がするようなことをしてみる人がいたって良いはずだ。
私が魅力を感じるのは、男女ともに、自分よりずっと年上の人が多い。それはやはり、自分がそういうものを求めているからなのだろう。
 
 
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