yuhka-unoの日記

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アスリートに対してブラック企業経営者になる私たち

 安藤選手は、25歳になる大人の女性だ。
 とすれば、誰と交際しようが、どんなカタチでいつ出産しようが本人の自由であるはずだ。

 なのに、その妊娠について、あれこれ言いたがる人が多いのは、結局のところ、これまで、長い間、われわれが女子選手に、「娘」としての役割を担わせてきたことの反作用なのだ。

 「浅田選手」、「安藤選手」ではなく「真央」「美姫」という見出しの付け方は、記事を書く人々が、彼女たちを「娘」ないしは「身内の子供」として扱っていることを意味している。
姫は城を出て母になる:日経ビジネスオンライン

アスリートが「身内の子供」扱いされていることについては、私もその通りだと思う。この表現に近いこととして、私は以前から、アスリートは「学生」みたいな扱いだと思っていた。そもそも、日本におけるスポーツの認識自体が、学校の体育や部活の延長みたいなものになっているということもあって。だから、「学生」なのに妊娠したり、茶髪やピアスをしたりするのはけしからん、ということになるんじゃないだろうか。「真剣にスポーツに打ち込んでいるのなら、茶髪やピアスなどといったことに現を抜かしている暇なんてないはずだ」といった言説は、いまだにスポーツ界には根強い。それはどこぞのブラック企業的な価値観と同一だ。
そういえば、求人広告に「アットホームな職場です」と書いていながらブラック企業というケースも多いけれど、「身内の子供」と「アットホームな職場です」は、似ているような気がする。職場の若い女の子を下の名前で呼び、「○○ちゃん、ダメだよぉ、そろそろ結婚とか考えないと〜」などと、プライベートに口出ししてくるオジサンが沢山いる「アットホームな職場」、まじうぜぇ。
 
バンクーバー五輪の時、スノーボード國母和宏選手の服装が問題になった。あの件について私が思ったことは、「式典などの場じゃなくて、空港で移動中の服装なら、それほどうるさく言うことないんじゃないの?むしろ、飛行機の狭い座席で長時間移動するのなら、服装の目的が『きちんとした格好をすること』よりも、『体調管理を考慮した、疲れない格好にすること』にしたほうが良いんじゃないのかな。そもそも、スーツである必要すらないのでは。ジャージで移動すれば良いのに」だった。服装問題がエスカレートするにつれ、彼の髪型や髭まで槍玉に上がっていたが、そこは本来問題にしなくても良い部分だと思う。あの件は、一種の「モラル・パニック」だったのだろう。
 
以前見たテレビ番組で、新たに就任したバレーボールのコーチが、自分の指導方針として「茶髪禁止」を挙げていたが、一方で「世界を目指す」とも言っていた。「世界」ということで言えば、茶髪やドレッドヘアを禁止するのは、人種差別にあたるのではないだろうか。もし服装を指導するのなら、ジャケットのボタンの留め方や、ある程度フォーマルな場に出て行く時の靴下や靴の選び方など、そういったスーツを着る上での「基本のキ」を教えたほうが、茶髪を禁止するよりも、余程国際的な場に出て行く時のためになると思う。
学生の服装指導というのは、「素行不良」を防ぐためというのが目的になっているので、「ドレスコード」とはまた違うものだ。第一、髪を染めたりピアスをつけたりといったことに対する制限は、一般企業や官庁といった、いわば「お堅い職業」の人に適用されるもので、それ以外の社会人には、あまり適用されないものだと思う。スポーツ選手というのは、どちらかというと「それ以外の社会人」の範疇に入るのではないだろうか。ましてや、アマチュアの選手にまで適用されるものなのだろうか。アマチュアなら、髪型やピアスについては、本人と学校、または本人と会社の間の問題であり、それ以外の人間が特に口を挟むことではないのではないだろうか。

 今回の國母選手は、自分の職業や個性におけるパーソナルデザインはできていましたが、マクロの環境においてパーソナルデザインはできていなかった。そして、飛び抜けた個性を表現したスタイルだっただけに、批判を受けてしまった。しかし、そのおかげで何か得るものはあったのではないかと思うのです。

 一方、まったく個性を表現せず、保守的で目立たないビジネスマン。普通であるから誰も何も言わないものの、グローバルスタンダードからすると不思議な着こなしのビジネスマン。陰では言われても、目の前では何も言われないから、ずっとそのスタイルを続けてしまう。結果、損する場面が延々と続くかもしれないのです。
Business Media 誠:スノボー・國母選手のスタイルをパーソナルデザインの視点から見る (1/3)

 
以前、伊藤忠商事の社長さんが“「イクメン、弁当男子」は、なぜ出世できないか”というタイトルの記事を書いて、大炎上したことがあった。あの件については既に沢山の人が指摘している通り、ああいった差別的な発言を企業のトップがしたら、グローバル的価値観では、「あの企業は大丈夫なのか」という目で見られてしまう。社長氏は記事の中で、最近の「草食系」な若者のことを「温室育ち」と表現していたが、周りに誰も注意してくれる人がいない「温室」の中で、意識が更新されないまま来てしまった偉いオジサンの感覚が、グローバルな場に出ると全く通用せず、思わず発した言葉が大問題になってしまうのは、よくあることだ。そういう面で、立場が上になるというのは怖いことだと思う。
私は、伊藤忠商事社長の記事が炎上した件と、スポーツ選手への茶髪ピアスの制限には、共通するものを感じてしまう。若者に対して「世界に目を向けろ」「グローバル意識を持て」と言う年長者が、グローバル的な価値観では到底通用しないジェンダー観や労働観を持っていることと、「世界を目指す」と言いながら、選手に対して世界に通用するわけでもなさそうな服装指導をしていることと。そういえば、柔道界の体罰セクハラ問題も、組織内でのセクハラやパワハラに対する意識が、全く世界レベルに批准していなかったことから生じたと言えるのではないだろうか。
 
そして、今回の安藤美姫選手の出産の件も、私には同一線上の問題に思える。ひとり親世帯の人に対して、子供の親が誰かなんて根掘り葉掘り詮索したりしないのが、大人同士の距離の取り方だ。しかし、相手に対して「身内の子供」や「学生」といった意識を持ってしまった場面では、途端にその距離感や遠慮はなくなり、自分は相手に対して、保護者的目線でお説教しても良い立場なのだと思ってしまう。だから、本来他人に教える必要のない父親の名前を、自分たちに教えて当然だと思ってしまうのだろう。子供をあやしてオムツを替えてくれるわけでもない赤の他人に、父がは誰なのかを言う必要なんてないのは当然だ。アスリートは、みんなの「身内の子供」でも「学校の生徒」でもないのだから。
現代、欧米の先進諸国では、未婚のひとり親は全く珍しいものではなくなっている。今回の安藤選手の件で思い出したが、フランスの政治家ラシダ・ダチ氏は、法務大臣在任期間中に、未婚で父親の名を公表せずに出産していた。安藤選手自身も、インタビューの中で、何かあればすぐ「そんなことをしている暇があるなら練習しなさい」と言われてしまう日本とは違い、バカンスを一ヶ月、最低でも2週間取って、自分のプライベートライフを持っているアメリカの選手たちの価値観に触れたことを言っていた。

ひとつは、「西欧の先進国では、生まれる子供の半分近くが、婚外子になりつつある」ということです。日本では「結婚が出産の前提」だと思ってる人がたくさんいますが、他の先進国では既にそうではありません。
結婚はオワコン!? - Chikirinの日記

フランスの独身法相が女児出産 父親は明かさず - 47NEWS(よんななニュース

 
これらの件についてわかるのは、私たちは、ブラック企業のことについて話す時は、労働者の側に立ってブラック企業を批判するのに、アスリートに対しては、ブラック企業経営者と同じ感覚になってしまい、「そんなことをしている暇があるのか」などと、他人を拘束したり、プライベートに介入する傾向があるということだ。アスリートに対して「税金を払ってやっているのに」と言う人が沢山いるけれど、実にブラック企業経営者的な言い方だ。こういうことを言う人は、アスリートに対して税金を払っているのは自分だけではないということを忘れているんじゃないかと思う。税金を払っている人たちの考えは様々で、アスリートに対する意見も様々だ。
もし「払ってやっている」という意識を持つのなら、自分が一年間に払っている税金のうち、どれだけの金額がアスリートに投入されているのか、その金額は、アスリートに対してそこまで要求するのに見合うほどの金額か、そもそも経営者が従業員に対して、恋愛や妊娠出産やプライベートにまで口出ししても良いのか、どの程度従業員を仕事のために拘束しても許されるのかを、考えてみたら良いと思う。それが「経営者目線」ってもんだと思うよ。
 
あまり関係のない話。安藤選手の子供の名前が「ひまわり」だと知って、真っ先に「クレヨンしんちゃん」が思い浮かんだけど、そういえば織田信成選手の子供の名前が「信太朗」だったことを思い出した。もう完全にしんちゃんとひまわり。