yuhka-unoの日記

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ティファニーのオープンハートよりも贅沢な数千円のプレゼント

NEWSポストセブン|今の若い世代は外車とティファニーの良さを知らずに可哀想の声

あーティファニーのオープンハートネックレス流行ってたよねー。私が小学校高学年か、中学校か、それぐらいの時期までは流行っていたと思う。確か、当時友達から借りたかして読んだGTOの小説版に、若い理科教師が、自分と関係を持ってる中学生女子にプレゼントして、「この程度のもので飼えるのなら安いものだ」と思ってるとか、そんなシーンがあったような気がする。だから、私にとってのティファニーのオープンハートネックレスは、GTOがセットで思い出されるものになっている。
 
で、ティファニーのオープンハートネックレスって、私はそんなに欲しいとは思わないんだよね。同じプレゼントされるなら、何万円かするティファニーのオープンハートネックレスよりも、数千円の私好みの本とかCDとか画集とか資料集とか、ヴィンテージアクセサリーとか、そういうもののほうが嬉しい。ティファニーなら、創業者の息子ルイス・カムフォート・ティファニーの作品集のほうが欲しい。
そう考えていて気付いたのだけれど、「私好みの数千円のプレゼント」を選ぶには、私と実際に付き合いを持って話をして、私の好みをリサーチしなければならないわけで、これって時給に換算すると結構な金額になる。「私好みの数千円のプレゼント」は、結構贅沢だ。それに比べたら、何万円かするティファニーのオープンハートネックレスとかブランドバッグのほうが、安いくらいなんじゃないのか?
ということは、単なるブランド品のプレゼントって「手抜き」なんだな。もちろん、受け取る当人が本当にそのブランドが好きで欲しがっているとわかっている場合はそうではないけれど、「とりあえず女にはブランド品のバッグとかアクセとかプレゼントしときゃ良いだろ!」という感じで選ぶブランド品は、相手の好みをリサーチする手間を省いた「手抜き」だ。何万円かするブランド品の金額は「手抜き代」だったのだ。
 
「とりあえず女にはブランド品のバッグとかアクセとかプレゼントしときゃ良いだろ!」という感覚は、名前を持った個人としての人間に対するプレゼントではなく、漠然とした「女」というイメージに対するプレゼントに思える。この、一人の人間同士として付き合いを持つのではなく、「女」というイメージと付き合うというあたりが、私としては「ああ、バブル的恋愛祭りだなー」という感じがする。もちろん、「女」や「男」というイメージだけで付き合うのも別に良いけれど、そういうのは「自分はそういう付き合い方が好きなだけだから」と自覚してするものであって、自覚なくそれを「当たり前」の価値観として持ってしまって、今の若者を「かわいそう」と言ったりするのは、それはちょっと違うんじゃないのと、草食系女子の私は思う。
それに、BMWに乗ったりティファニーのオープンハートを買ったりしたからといって、誰もが本当にBMWティファニーについてわかるようになるとは限らないし、沢山の女とセックスしたからといって、女についてわかるようになるとは限らないということを証明してしまったのが、バブル期というものだったのかもしれないしね。
 
女に対するプレゼントで思い出したけど、なでしこジャパン国民栄誉賞を受賞したとき、記念品として化粧筆が贈られていたけれど、サッカーと全然関係ないし、「女性だったら化粧筆だろ」って感じで決められたんだろうかと思った。化粧筆をプレゼントするかどうかは、相手が女かどうかじゃなくて、相手が頻繁に化粧する人かどうかだと思うんだけどね。
 

 
 
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