yuhka-unoの日記

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ポジティブ神話とキレイな被災者

頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。
http://anond.hatelabo.jp/20110407001402

 
テレビ番組で、「いっそ津波に流されてしまえば良かった」と言う被災者に、スタジオの人が「流された人の分も生きなきゃ駄目ですよ」と言ったという話を聞いた。
それは違う!と私は思った。私は被災した経験など無いのだから、実際の被災者の気持ちなんてわからない。わからないけど、でもそれは違うと思う。
被災者が「いっそ津波に流されてしまえば良かった」と思うのは当たり前だと思った。そう思ってしまって当然だと。今は、そう思ったままで良いんじゃないのか。「流された人の分も生きなきゃ」なんて思うのは、何ヵ月後か、あるいは何年後かにでも、被災者本人が心の底から自然にそう思えるようになれば良いのであって、というより、むしろそうでなくては意味がないのであって、何も今無理矢理そう思うことないじゃないか、と。
 
「いっそ津波に流されてしまえば良かった」と思ってしまうのなら、そう思ったまま生きればいい。どうしても前向きな気持ちになれないのなら、後ろ向きな気持ちのまま生きればいい。死にたい死にたいと思ってしまうのなら、死にたい死にたいと思いながら生きればいい。それでいいんじゃないのか。今、無理に感情や考えを変えようとしたりする必要はないんじゃないのか。
もうとにかく死なないようにすることだけで精一杯な時は、ただ生きるということだけに気力を使い果たしてしまう。自分の気持ちをどうこうすることにだって気力がいるんだよ。
 
世間には、「ポジティブ=良い・ネガティブ=悪い」という思い込みがあるけど、どうしてもポジティブになれないのに、無理矢理ポジティブになろうとするのは、かえって心身に悪い。鬱病もそういう状態からなることが多い。鬱病になる前段階の人は、すごく前向きでやる気に溢れているように見えることがある。心の奥底では「もう疲れた。もうやめたい。もうやりたくない」と思ってるのに、頭のほうで無理矢理心の声を押さえつけて、「自分はこの仕事が楽しいんだ。やる気にならなければならないんだ」と思い込ませようとする状態から鬱病は始まる。そういう状態が続くと、心の奥底の声は未処理のまま蓄積していって、溜め込んで放置していた仕事のように、後で一気に襲い掛かって来る。
ポジティブになること以上に大切なのは、自分の心の声を聞くことだ。ネガティブになることが悪いのではなく、ネガティブな感情を未処理のまま放置しておくことが悪いんだよ。
 
増田のお兄さんが言っていることも、ああいう立場に置かれたら当たり前に抱く感情だと思う。人間、キレイなだけじゃないから。だから、「キレイな被災者」になる必要なんてないと思う。「キレイな被災者」っていうのは、所詮被災していない人間が被災した人間に勝手に求めることだから。
被災していない人間は、無意識に「理想の被災者像」を思い描いて、それを押し付ける。「災害時でも秩序を守る日本人」というプライドを満たしてくれる被災者、こちらの善意を受け取って喜んでありがたがってくれる被災者、思いっきり同情させてくれる被災者、希望や感動ドラマを提供してくれる被災者…
そして、それらを満たしてくれない被災者は、時に叩かれることになる。レスやブコメを見ていると、増田のお兄さんに不快感を持つ人も多いようだ。でもそれは、被災していない人間の勝手な願望だよ。
 
私は、本当に落ち込んでいる人にかける言葉なんてないと思う。同じ体験をした人なら、かける言葉がわかるかもしれない。でも、所詮体験していない者に、そんな言葉は見付からないと思うし、言ったとしても言葉に説得力は無いだろう。
そもそも、「何か気の利いた言葉をかけてあげなきゃ!」と思うこと自体が間違いなんだね。体験していない者に気の利いた言葉なんてわかるわけがない。自分がそういう言葉をかけられると思ってること自体が思い上がりだ。
体験していない者に、物理的な支援以外で精神的な支援ができるとしたら、本人が「そっとしておいてほしい」と思っているのならそっとしておくこと、「話を聞いて欲しい」と思っているのなら話を聞くこと、「感情を吐き出したい」と思っているのなら感情を受け止めること、たぶんそれくらいしかない。
 
 
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