yuhka-unoの日記

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本音では、自分で判断することを許していない教育者たち

尚、ここで言う「教育者」とは、親、教師、上司など、教育する立場にある人全般という意味である。
 
さて、前回の記事「他人に親切にして失敗するのが怖い日本人」の続きである。今回は、元サッカー日本代表監督・イビチャ・オシム氏のこの言葉について、具体的に考えてみようと思う。

 日本では、長年にわたって失敗に対し罰を与えるような教育システムになっているように思える。そういう社会性が、ある意味、サッカーでは悪い方向に作用する。
 「失敗して罰を受けるならば何もトライしたくない」という深層心理が消極的な姿勢につながるのである。「日本人には責任感がない」とは決して言えない。日本人のメンタリティの問題は「責任感がない」のではなく、その責任感に自分で限界を作ってしまうことではないか。自分で勝手に仕事の範疇を決めてしまい、それを達成すると、「後は自分の責任ではない」と考える。(p.93-94)
http://t104.blog72.fc2.com/?m&no=87

 
子供や若者に「自分で考えて行動できるようになってほしい」と思っているのは、何もオシム氏ばかりではなく、日本の年長者もそう言っている。年長者が「最近の若者は自分で考えて行動しない。こっちが指示しないと動かない」という内容の愚痴をこぼしているのは、よく見かけることだ。しかし、それにも関わらず「失敗して罰を受けるならば何もトライしたくない」という深層心理を抱え込む人間が育ってしまうのは、やはりそういう人間に育つ教育システムになっているということだろう。
 
子供に向かって「自分で判断したらダメ。全部いちいち聞きに来なさい」と言って育てる大人は、おそらく稀な存在だろうと思われる。大抵の大人は、意識上では「自分で判断できる大人になってほしい」と思って子供を育てている。問題なのは、言外に「ただし、判断ミスをするな」という意味が含まれていることだ。全ての教育者がとは言わないが、最初から正しい判断をすることを基準とし、オシム氏の言うところの「失敗に対し罰を与える」方式で教育しているケースが多いのではないだろうか。
いくら口で「自分で判断できるようになりなさい」と言っても、最初から判断ミスを許さないのでは、子供は「自分で判断して失敗するよりは、最初からどうすればいいのか聞いてしまったほうが、後で怒られなくて済む」ということを、自分で判断してしまう。
 
子供は失敗のオンパレードのような生き物である。最初から正しい判断ができるわけがない。その子供に対して、最初から正しい判断をすることを要求し、失敗に対し罰を与えるというのは、大人に要求するようなことを子供に要求しているということだ。子供に負わせるには過大な責任を負わせているということである。
つまり、日本人は責任感がないのではなく、逆に責任を感じすぎてしまうのだろう。幼い頃から年齢に似つかわしくない過大な責任を負わされ、失敗を許されたり、やり直しのチャンスを与えられて来なかった経験から、責任を実際よりも過大に受け止めてしまうのだ。あまりに過大な責任からは誰だって逃れたくなるものである。
 
実のところを言うと、大人たちは子供に「正しい判断」を要求しているわけでも、「自分で判断して行動してほしい」と思っているわけでもない。真に正しい判断をするということ、真に自分で判断して行動するということは、時には大人の意に沿わない行動をし、大人が間違っていると判断した場合には反論や抗議をすることを意味している。大人たちの言う「自分で判断して行動してほしい」というのは、大抵の場合、「こちらが何も言わなくても、思い通りに動いてほしい」というのが正確なところである。
これとよく似た言葉に「経営者目線で考えてほしい」というのがある。真に経営者目線で考えるということは、時には会社の経営に意見するということである。一体、この言葉を言っている経営者のうち、従業員が会社の経営に意見することを歓迎していて、経営に関する情報を積極的に開示している経営者がどれくらいいるのだろうか。やはり「経営者目線で考えてほしい」というのも、大抵の場合、「こちらが何も言わなくても、思い通りに動いてほしい」というのが正確なところである。
 
真に自分で判断して行動する者は、時に年長者から見ると生意気に見えたりするものだ。その生意気さをある程度許容できるかどうかが、自分で判断して行動できる人間を育てられるかどうかの分かれ道だろう。はたしてこの国の年長者は、そういった若輩者の生意気さを許容できているだろうか?
こちらの意に沿わない行動はしてほしくない、反論や抗議は受け付けないというのでは、こちらの言うことを従順に聞く変わりに、自分で判断せず、いちいちどうすれば良いのかを聞きに来る人間が育つのは当然だ。物事はそう都合良くいかないもので、二兎追う者は一兎も得ずである。まぁ、逆に考えれば、意図した教育の半分は成功しているということではあるが。引きこもりの問題も、この辺に大きな関係がありそうだ。
そして、そういう意味では、若者に対して「自分で考えて行動できるようになってほしい」と愚痴をこぼしている年長者とて、真に自分で考えて行動できている人は少ないのではあるまいか。