「ダサピンク現象」番外編―ターゲットの最大公約数から大幅にズレているのが「ダサピンク現象」である
さて、ココロ社氏は以前にもダサピンク現象について「こっちの記事読まずに書いてるのか?」と思うような的外れなエントリを書いてらっしゃって、それは『続々・「ダサピンク現象」について―上層部のおっさんの「無知の知」という問題』にて反論したんだけど、どうやらまた「こっちの記事読まずに書いてるのか?」と思うような、的外れなエントリを書かれたそうなので、これについても反論しておこうと思う。本当に、何から何まで的外れなのだが、まずは“「ダサピンク」=女性の最大公約数の具現化”ではない、というところから始めよう。
ターゲットの最大公約数から大幅にズレているのが「ダサピンク現象」である
長々と書いてきたが、「ダサピンク」と言われているものの実態は何なのかというと、「女性の嗜好の最大公約数を具現化したもの」なのである。それは大量生産のプロダクトの宿命であり、平均的な女性の感性から(優劣ではなく、単純に距離が)遠くにいる人にとっては「ダサ」く見えてしまうのは当然のことなのだ。
とのことだが、そもそも、ターゲットの最大公約数をきちんと捉えることができているのなら、それはダサピンク現象ではない。ダサピンク現象とは、「女性って、ピンクが好きなんでしょ?」程度の認識によって、ターゲットの最大公約数から大幅に外れてしまう現象のことだ。これについても散々ブログで書いてきたのだが、「ピンク嫌いの女たちが、自分の気に入らないピンク商品を『ダサピンク』と読んでるんだろう」という妄想ありきで考えているから、読めてないんだろうねぇ…
この問題については、こちらのブログエントリが非常にわかりやすいので、引用させて頂く。できればリンクを辿って全文読んで頂きたい。
ヒット商品であり大成功した製品であるのは間違いないんですが、「ピンク」の2種だけはたまーに店頭でお目にかかることができました。対して入手困難なのが「黒」。当時は男性誌でも特集記事が組まれ、ぼく自身もちょっと欲しいなーと思っていたので、「きっと男性も購入していったから、黒から先になくなったんだろう」って思ってました。
このことをポケットドルツを教えてくれた女性に話したところ、彼女は「黒」を購入していたのです。購買の理由を聞いてみると「職場で歯を磨くときくらいシンプルな黒の方がいい。ピンクは女性アピールしすぎてて使いにくい。友だちも言ってる」とのことでした。
ここで注目しなくてはいけないのは「黒の方がいい」という事ではなく、「歯を磨くときくらい…」という言葉です。女性は製品を購入する際、男性よりも具体的に使用している場面を思い浮かべています。
(中略)
つまり女性にとって重要なのは「何色があるのか」、ではなく「自分がその商品を使用するイメージとマッチするのか」ということになるわけです。例え流行の色を使ってセンスある配色をした製品でも、購買ターゲットである女性がその色を避けがちな集団であれば製品は失敗してしまうわけです。
ダサピンク現象から学ぶ、製品の色の決め方手順
「ピンクが好きかどうか」と「その商品にピンクであることを求めるかどうか」って、違うんだよね。ココロ社氏を含め、ダサピンク現象について的外れなことを言ってくる人は、判で押したように「好きな色アンケートで女性が一番好きな色はピンクだ。だから企業がマーケティングした結果としてピンクになっているのかもしれないじゃないか」と主張なさるが、はっきり言って、それこそがダサピンク現象的な発想だ。問題は「ターゲットはどういう人たちで、その商品に何を求めているのか」だ。
例えば「オフィスで使うのに相応しいものを」という目的なら、多くの人は「オフィスで使うのに適した色合いやデザインであること」という条件を最優先にして、「自分の好きな色」であることの優先順位を下げるだろう。もちろん、そこで「自分の好きな色」であることを最優先にする人もいるだろうけど、そういう人は最大公約数ではなく、むしろ尖った人だ。
私は、ダサピンク現象についての一番最初の記事『残念な女性向け商品が作られてしまう「ダサピンク現象」について』で、ダサピンク現象が起こってしまう原因について、端的に「肝心のデザインがダサいから」と言ったが、これも同じ話で、大多数の女性にとっては、ものを選ぶ際に、「自分にとって一番好きな色であること」よりも、「デザインが好みであること(少なくともダサくはないこと)」を優先する場合が多いと思うからだ。例えば、ピンクが好きと答えた人でも、流行が20年程古いピンクのコートと、今時な感じのするホワイトのコートだったら、後者を選ぶ人が多いだろう。要するに、最も優先すべき要素を優先していないから、ターゲットのニーズからズレてしまうのである。
大多数の人は、ものを選ぶ際に、いついかなる時も、自分にとって最も好きな色であることを最優先するわけじゃない。女性一般に対して「何色が好きですか?」と聞いただけのアンケート結果では、「ターゲットはどういう人たちで、その商品に何を求めているのか」なんてわからない。その程度の雑な認識で「女性の一番人気色はピンクだから、ピンクで」とピンク商品を作ってしまうと、最大公約数のニーズからズレたものが出来上がってしまう。これが本来的な意味でのダサピンク現象である。
というか、ネットで拾ってこれる程度の「何色が好きですか?」アンケートだけで「マーケティングをした」と言えるのなら、マーケターはいらねぇよ。
「ダサピンク現象は、一部の女性の被害妄想だ」という妄想を繰り広げる人たち
どうやら、ダサピンク現象を否定したい人たちは、「ピンク嫌いの女たちが、自分の気に入らないピンク商品を、『どうせ決定権を持つおっさんが、女性デザイナーの案を潰して押し通したんだろう』という妄想をして、『ダサピンク現象』と呼んでいる」という妄想をする傾向があるらしい。ココロ社氏も例に漏れず、これらの製品、とくに家電などは、中年男性がデザインの決定に深く関与しているというイメージが強いこともあってか、「どうせ女の人はピンクが好きなんでしょ」という傲慢な感覚のもとに作られたような気がしてしまうし、勢い余ってそこにジェンダーの問題を見出すこともあるかもしれない。
「なぜ女性向けのプロダクトにはピンク色が多いのか」という怒りにも似た疑問について考える - ココロ社
こんなことを書いてきたので、
「ダサピンク現象」についての一番最初の記事でも紹介したこれらのサイトでは、「女性向け」ということでデザイナー職の女性たちが考えたデザインを、上層部のおっさんが「女性ならピンクだろ」と言ってダサいデザインに差し替えてしまうことが、「イメージが強い」や「気がしてしまう」ではなく、「デザイン業界にいる女性が、実際に体験したこと」として語られている。念の為に言うと、これらのサイトは一番最初の記事でも紹介した。大事なことなので二度言いました。
続々・「ダサピンク現象」について―上層部のおっさんの「無知の知」という問題
このように反論して、一連の記事を書くに当たって参考にしたデザイナー職の女性たちの体験談と、記事を書いてからのTwitterでの反響を、をいくつか提示させて頂いた。もしこれらが全て妄想だと言うのなら、彼女たち全員が嘘をついているということになるわけで、そっちのほうが無理があると思う。
デザイナー職の女性の体験談のうち、一部分だけを切り取ってミスリードを誘うココロ社氏
さて、次にココロ社氏が何を言ったかというと、「ダサピンク現象」の実際にあった例として、『「ピンク=女性向け」?』というツイートのまとめ記事がよく参照される。ここで語られている事例については、「そのおっさん(デザイン業)」と書かれていているところから考えると、自分の得意分野だと張り切って細かく的外れな指図をしてしまったのだろうし、そもそも、発端となった人も、自分が推すデザインを「ニッチでも確実に需要があるとこは攻めるべき」と言っているのだから、ニッチであることは自覚しているようである。単に、ニッチな市場を狙うのは仮にローリスクであったとしてもローリターンだから事業としてはやる意義が薄いと考えていたのかもしれない。
なんと、「本当は、上役のおっさんが正しい判断をしていて、デザイナー職の女性のほうが的外れだったんじゃないの?」という妄想を始めたようだ。
元のまとめ記事には
企画には私もかなり口出したので、時間かかっても反映されるといいなー。女性向け携帯ってギャル系か超狭い範囲の上品清楚系しかなかったから、ニッチでも確実に需要があるとこは攻めるべきだと話し合ってる横でそこの上役のおっさんが「女性ならピンクだろ」とかクソ言い出したけど無視した。
ペールピンク(上品地味系モテ清楚)でもフューシャピンク(ギャル文化寄り)でもないベージュとゴールドとブラウンの混ざったマホガニー系のローズカラーならいいよね、という話をしてるとこに「女性は清楚でいたいからピンクだろ」はちょっとツッコミどころ多すぎるわ。清楚にさせたがる側が何を。
「ピンク=女性向け」? - Togetterまとめ
と書かれているのだが、この話のどこに、上役のおっさんがマーケティングをした痕跡があったり、「ニッチな市場を狙うのは仮にローリスクであったとしてもローリターンだから事業としてはやる意義が薄いと考えていたのかもしれない。」ということが読み取れるのだろう。ココロ社氏には、普通の人には見えない何かが見えているのだろうか。
そもそも、元記事の文章を「女性向け携帯ってギャル系か超狭い範囲の上品清楚系しかなかったから」の部分から引用せずに、「ニッチでも確実に需要があるとこは攻めるべき」の部分だけを切り取ってみせて、さも、その女性がニッチな提案をしたから、上司に案が通らなかったかのような書き方をするのは、はっきり言って卑怯だと思う。自分の主張に都合の良い部分だけを切り取ってミスリードを誘うやり方は良くない。これ、もし週刊誌等のマスコミがやったら、「マスゴミ」とか言われて叩かれて、前後の文まで引用した訂正記事を載せることを要求されるレベルじゃないのかな。
「ピンク嫌いの女たちが、自分の気に入らないピンク商品を、『どうせ決定権を持つおっさんが、女性デザイナーの案を潰して押し通したんだろう』という妄想をして、『ダサピンク現象』と呼んでいる」→「いや、複数のデザイナー職の女性が実体験として語っているよ」→「本当は上司はちゃんとマーケティングしていて、女性デザイナーのほうが間違ってたんだろう」って…妄想も大概にして欲しい。
あと、これと同じデザイナー職の女性が言ってる、
「女性向け」というお題目で受けた仕事でも、プレゼン段階でクライアントの女性たちに紺・茶がウケてても経営層(おっさん)に見せた瞬間に全部ピンクに差し替えとかデザイン業超あるあるなので…
「ピンク=女性向け」? - Togetterまとめ
この部分はどうなるんだろうね。
言葉のすり替えを行うココロ社氏のやり方
「妻の家事ハラ」をうたった旭化成ホームズの広告がネット上で炎上した。実は「家事ハラ」は、昨年秋、私が出版した『家事労働ハラスメント〜生きづらさの根にあるもの』(岩波新書)での造語だ。ここでは、「家事労働ハラスメント(家事ハラ)=家事労働を蔑視・軽視・排除する社会システムによる嫌がらせ」と定義し、こうした蔑視によって、家事労働の担い手とされる女性が、貧困や生きづらさへと追い込まれていくことを伝えようとした。ところが「妻の家事ハラ」広告では、それが、「家事をやらされる男性のつらさ」を指す言葉に転化させられてしまった。そこに見えてくるのは、少数派の言葉を無力化する「社会の装置」の存在だ。
(中略)
共通するのは、発言権を持つ層が、自分たちに都合の悪い新語の意味を「わかりにくい」として言い換え、マスメディアを駆使してそれを拡散し、本来の改革的な要素を骨抜きにしていく手口だ。女性たちの怒りは、こうした「私たちの言葉」が奪われていく状況にも向けられていた。
「妻の家事ハラ」炎上から見えた少数者の言葉を無力化する「装置」 竹信三恵子 | WAN:Women's Action Network
竹信三恵子氏が「家事労働を蔑視・軽視・排除する社会システムによる嫌がらせ」として提唱した「家事労働ハラスメント(家事ハラ)」という言葉を、旭化成ホームズが「家事をする夫への妻の嫌がらせ」という意味にすり替えたり、深澤真紀氏が、「恋愛にガツガツしない男子(恋愛をしない男子という意味ではない)」という意味で提唱した「草食男子」という言葉を、週刊誌やテレビなどのマスコミが「恋愛に臆病で、積極性のない男子」という意味にすり替えていったことがあったが、ココロ社氏がやっているのは、これと同じことだ。“「ダサピンク」=女性の最大公約数の具現化”だと、意味をすり替えないで欲しい。
上記に引用した文では、「発言権を持つ層が、自分たちに都合の悪い新語の意味を『わかりにくい』として言い換え」とあるが、彼らは「わかりたくない」のだと思う。理解しようと努力するのではなく、その問題の存在を否定してなかったことにするために、努力しているのだ。ココロ社氏も、私の文章を読んで理解しようとするのではなく、「ピンク嫌いの女たちが、自分の気に入らないピンク商品を『ダサピンク』と呼んでいる」ということにするために、Togetterまとめ記事の文章の一部分を抜き出してミスリードを誘ったり、理屈をこね回したりしているに過ぎない。
主犯は社員やデザイナーではなく、ハンコを押す最終決定権のある人
また、“プロダクトを「ダサピンク」にしている人が仮にいるとすれば、社員やデザイナーである”という見出しをつけて、プロダクトにセンスが感じられるか否かは、細部の色やデザインをどうするかに大きく依存するが、そこには外注先のデザイナーや、それをチェックする社員の関与度が大きい。「ダサピンク」は会議室ではなく、現場で起きているのである。「ダサピンク」なプロダクトがあるとしたら、その主犯は社員やデザイナーであり、そこに若い女性が一定数含まれていることは言うまでもない。
と仰るが、普通、どんな仕事でも、プロジェクト失敗の責任はハンコを押す最終決定権のある人が一番大きいでしょ。そんな、部下に責任転嫁する上司みたいなこと言われてもねぇ…
わざわざ「おっさんはみんなそうじゃないよ」と言ってくる、お呼びじゃない人
ココロ社氏は、以前私が書いた『続々・「ダサピンク現象」について―上層部のおっさんの「無知の知」という問題』という記事に、以下のブコメをつけて下さった。kokorosha 「オッサン=ダサいものをゴリ押し」は「女=ピンク」の決めつけよりも問題。ダサピンクを回避した事例にもオッサンがいたので、単に「オッサンが多い」という話では?あと、他のツイートも引用してくだされば幸甚。
ということなので、他のツイートも引用させて頂こう。
ココロ社氏のような反応をする人は、世界的に観測されている、ある種の典型例である。
1/4英語で流行ってる「Not all men」を説明してみよう。女性が性差別・セクハラ・性暴力の話をするとき加害側を「men」と括る。すると決まって男がそこに突っ込んで「男はみんなそうじゃないよ!」と言うワケ。「Not all men are like that!」と抗議する。
2/4男はみんなそうじゃない事を会話の参加者はみんな分かってる。言う必要もない。差別・ハラスメント・暴力の話を聞いて「この問題を少しでも軽減するのに僕には何が出来るか」と考える前に「僕は違うよ!僕はいい人だよ!僕を認めろ!」と言うそいつはまさに問題の側にいる、ということだ。
not all men are like that - Togetterまとめ
例えば、ブラック企業の被害に遭った話をしているところに、わざわざ乗り込んできて、「企業はみんなそうじゃないよ」と言ってくる企業経営者とか、毒親の元で育った人が、親から受けた被害の話をしているところに、わざわざ「親はみんなそうじゃないよ」と言ってくる親御さんみたいな、そういう「お前お呼びじゃないよ」感がするわけですね。
毒親問題について語っている人に対して、「きっと『こんな親がいるに違いない』という妄想で決めつけて『毒親』と呼んでいるんだろう」→「いや、実体験として語っている人が複数いるよ」→「それは実際には子供の勘違いで、親が正しかったのでは?」みたいな話をしてくる親御さんって、どうなんでしょうね?かなり「ヤバイ」感じがするけれど。実際、そういう親御さんもネット上では見かける機会も多いけど、こういう反応する人って、十中八九その人自身が毒親だね。
ていうか、私がブログの中で、男性がダサピンク現象を回避した例を挙げているのを見て、「あ、このブログ主は、男性の全てがダサピンク現象を起こしてしまうと言っているわけではないんだな」と理解するのではなく、「男性がダサピンク現象を回避した例があるのに、矛盾しているじゃないか!指摘してあげないと!」と思うのって、もう最初っから、「このブログ主は、上層部の男性はみんなダサピンク現象を起こすものだと決めつけている!」という決めつけでしか考えられないようになっているんだね…
男女問題の部分にばかり過剰に反応する、「ダサピンク現象」を否定したい人たち
ダサピンク現象を否定しがたる人たちは、ダサピンク現象を訴える側が「男女問題の部分に過剰に反応している」と思っているんだろうけど、私は逆だと思う。むしろ、否定したがる側が、やたら男女問題の部分について否定したり矮小化したりしたがっていて、そこに「過剰に反応している」。ターゲットを舐めた「コレジャナイプロダクト」は様々あって、原因も沢山あるのだけど、もし、それらのうち、男女問題が原因になってくる部分に対してだけ否定したり矮小化したりするのなら、それは、その人のほうが「男女問題に過剰に反応している」ってこと。女性に対するステレオタイプとか、管理職の男女比が偏っていることとかの原因は、原因としてさっさと認めて、じゃあダサピンク現象にならないようにどうしていったらいいのかってことを考えればいいのに、原因を認めたくない人たちがいるから、いつまでも議論がそこに留まって、前に進まない。男性の立場から「男向け化粧品はスースーさせときゃ良いってのもある」という意見があったり、デザイナーやマーケターの立場から、ダサピンク現象を回避するにはどうすれば良いのかについての意見があったりするのは、すごく有意義なんだけど、ダサピンク現象を否定したがる人の言うことって、全然有意義じゃないんだよね。
ココロ社氏は、ダサピンク現象について「もう書かない方がいいなどというご意見を頂戴した。」そうだが、その理由は、「もっと書いてほしいと思っているのに、それが素直に言えないのである。」ではなくて、例えば、黒人が白人から受けた差別について話している時に、「人種差別をするのは白人だけじゃないぞ!黒人が受けている人種差別より、白人はみんな人種差別をするという偏見のほうが問題だ!黒人だって人種差別をすることがあるだろう!だからこれは人種の問題じゃなくてコミュニケーションの問題だ!」などと言ってくる白人みたいなマネしてるからなんじゃないのかな?確かに、白人以外も人種差別をするけれど、世界的な人種問題について語る時には、まず白人がしてきた人種差別から語られるのは当然でしょ。
私はこのブログを書くことで一銭もお金貰ってないけど、紹介させて頂いた女性デザイナーの体験談をああいうふうに切り取って使われたことについては、ちょっと許せない気分になったし、この記事を書くモチベーションの七割くらいは、その部分にあったと思う。あとの三割は、言葉のすり替えをされたことかな。こういうやり方をするのなら、確かに、もう書かない方が良かったみたいだね。
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