yuhka-unoの日記

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大河ドラマでイケメン俳優が脱いで嬉しいかどうか考えてみた

 満を持して「女性にウケる大河」を送り出したハズと思い込んでいるのか、決して好調とはいえない数字に制作側は驚いている様子で、視聴率向上のために「イケメン俳優のハダカシーンを増やす」戦略が練られているとの報道も相次いだ。まさか、大河ドラマの制作現場にそこまで単純な演出をするスタッフなど実際にいないと思いたいが、「美男子が脱げば女性視聴者が食いつく」と本気で考えている層はマスコミにはいるのかもしれない。実際には、「イケメン売り」をPRすればするほど、女性視聴者が引いていくことに気付かないのだろうか?

男が脱げば女が喜ぶ? 迷走するNHK大河『花燃ゆ』最低視聴率更新の背景 - BIGLOBEニュース

実際に、「花燃ゆ」制作側がイケメン俳優が脱ぐシーンを増やそうとしているかどうかはともかく、上の記事を読んで、確かに、現時点の「花燃ゆ」で誰かが脱いでも、西島秀俊が演じた「八重の桜」のあんつぁまの時ほどの盛り上がりはないかもしれないな、と思ってしまった。なぜかと考えてみたが、「八重の桜」のあんつぁまが脱いだシーンでは、既にあんつぁまは人気を確立していたのに対して、「花燃ゆ」の男性キャラは、まだそこまで至っていないからだと思う。しっかりしたストーリー描写や、それに伴うキャラクターの深みは、そのキャラが脱いた時どれだけ嬉しいかを左右するのかもしれない。
つまり、ただのちんこに興味はなく、誰のちんこなのかが問題、というやつだ。
 
よく「腐女子はイケメンにしか興味がない」「腐女子カップリングにしか興味がない」と言われるが、それはただの偏見で、実際にはストーリーやキャラクターに深みがあって人気があるものほど、腐女子人気も高くなる傾向があると思うのだが、そういうことなのかもしれない。
キャラクターが脱いで嬉しいのは、読者や視聴者が既にそのキャラクターに惚れている場合なのではないだろうか。既に視聴者人気が確立されているキャラが脱ぐのと、そこまで行っていないキャラが視聴率稼ぎのために脱ぐのは、自分が好きな男が脱ぐのと、別に好きでもない男が、なんかこっちに対してアピールするために脱いできた、ぐらい違うのかもしれない。その俳優のファンなら嬉しいかもしれないけど、そうじゃない場合はそんなもんだろう。
とにかく登場人物が脱いで脱いで脱ぎまくる、なーんにも考えずに見れるアホドラマとかだったら、話は別だけど。
 

この作品は女性を主人公にすえ、さらに周りを取り巻く志士に旬の若手俳優を起用するなど、明らかに女性をターゲットとしています。制作側も「ぜひ女性に見てほしい。そのための入口としてイケメン俳優たちをキャスティングした」と全面的にアピール。

ですがそうあからさまにアピールされると、鼻白んでしまうのが現代のユーザー心理。

彼女も「これじゃ、ただの恋愛ドラマみたい」「イケメンさえ出しておけばいいと思われている」「大河ドラマそのものを好きな女性だっているのに」と首をかしげていました。
大河ドラマ「花燃ゆ」の失敗マーケティング。「女性向け=恋愛&ピンク」の限界。(五百田達成) - 個人 - Yahoo!ニュース

「裸」といえば、以前、過去記事『愛と平和の街―失われた20年世代の私―』の時のJ-POP音楽家さんと、「裸と服」について話し合ったことがある。彼いわく、「メロとコードが裸で、アレンジが服」だそうだ。服で着飾っていても、裸の部分がしっかりしていないものはつまらない。それは他の様々なことにも言えて、内面的なものや根幹のものが「裸」で、表面的なものが「服」だという話になった。
「恋愛」や「ピンク」や「イケメン」は、あくまでも「服」の部分に過ぎないのではないだろうか。結局、「裸」の部分が魅力的でないものは、色々な意味で、あまり脱がせたいという欲求も湧いてこないのかもしれない。
 
個人的には、大河ドラマでの男優上半身裸シーンといえば、「新選組!」の堺雅人演じる山南敬介の切腹シーンを思い出す。このシーンは大河史上に残る「神回」で、全く「イケメンの裸キャー!」的なノリとは対極の、非常にシリアスなものだった。「新選組!」といえば、山本耕史演じる土方歳三と、芹沢鴨の愛妾お梅の駆け引きのシーンでも、土方の上半身裸シーンがあったけど、あの土方は、いかにも故郷の親類に「俺、京都で女に超モテてっから!」という内容の手紙を出しそうで(※史実)、とても良かったと思う。
 
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