yuhka-unoの日記

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礼儀とは、相手を大人扱いするということ

相手が自分より年下だと知ると、初対面でもいきなり馴れ馴れしくタメ語で話しかけてくる人がいる。そりゃ、ある程度話して、親しくなってきたときにタメ語で話すのは、別に構わない。でも、いくら年が離れていても、大人同士なら、初対面でタメ語はありえないと思う。「お前は私の親じゃねーだろ」と思うね。それは、相手を大人扱いしてない、子供扱いしているということだ。そういう態度は、患者やお年寄りに対して赤ちゃん言葉を使うのが、優しく接することなのだと勘違いしている、看護師や介護師に似たものを感じる。
私が信頼を置いて付き合える年上の人は、そういうことをしない人ばかりだ。そして、そういうことをしない人は、私から見て、大抵ちゃんとした大人だ。逆に言うと、年下の人間を大人として扱えない人は、大抵「大人」じゃない。はっきり言って子供っぽい人が多いと思う。それは、自分が大人じゃないから、相手を大人として扱えないのだと思う。ちゃんと大人になれなかった親は、子供を大人に育てることができないのと同じで。
あと、女性を一人の大人として扱うのではなく、「若い女の子」として扱うか、「おばさん」として扱うかしかできない男は、大抵その男自身が大人じゃないと思う。こういう男は、「若い女の子」として扱ってあげれば女は喜ぶのだろうと思っているが、そのような「愛玩対象物」としての扱いなど、私は気持ち悪いとしか感じられない。その人個人を見ずに、相手を「おばさん」としてしか見ないのも、「若い女の子」としてしか見ないのも、どちらも同じくらい失礼なことだと思う。
 
私は昔から、こちらが年下だからといって、馴れ馴れしくナメた態度を取られるのが嫌だった。
例えば、中学生の頃、塾のセールスの電話で、電話に出ているのが親じゃなくて私だとわかると、「お嬢ちゃんは、もうどこを受けるか決まったの?」みたいな言い方をされた時には、「は?何この人超失礼。今はそっちがセールスする側で、こっちがセールス受ける側でしょ。なのにこっちが敬語使っててそっちがタメ語とかありえない。そういう言葉使いは、相手が敬語も使えない子供だった場合にしろよ。私は小学生じゃねーよ」と思っていた。
高校時代、県内の教職員の人たちが、私が通う高校で集会をするということがあって、帰りの駅に教師らしき人が沢山いた。で、その中の一人が、私にいきなり「もう学校終わったの?」「テスト勉強頑張ってる?」とか話しかけて来るのだ。「あのなぁ、そりゃあんたからしたら、学生服着てる私は、自分が普段接してる生徒と変わらんのかもしれんけど、こっちからしたら、知らんおっさんにいきなり馴れ馴れしく話しかけられてるだけだから」と思った。
私の恩師は、そんなことはしなかった。普段自分の生徒にはフランクに接していても、他所から学校見学に来た子に対しては、きちんと来客として扱っていた。その子が茶髪でミニスカでルーズソックスはいて、保護者を伴わず一人で来ていてもだ。私はその恩師の振る舞いを見て、「ああ、これが礼儀だな」と思った。
 
以前『可愛くない私の自分探し』で書いた、私の髪型を可愛くしてくれやがった美容師は、髪を切っている間、終始、「いいよねー若いもんねー。若いうちは何でもやってみたほうが良いよー」みたいな感じで、余計な人生のアドバイスをくれた。私は大人顔で、実年齢より年上に見られることが多く、見た目ではその美容師より年下だとわからないはずだと思うから、たぶん会員情報で私の年齢を見たのだろう。
私は、「私があんたに求めてるのは、髪を切る技術であって、人生のアドバイスじゃねーよ。人生のアドバイスなら、初対面のあんたより、普段から付き合いがあって信頼してる人に頼むよ」と思っていた。
美容師の人生アドバイスがいい加減ウザくなって来たので、私は話題を変えようと思って、その時店内でかかっていた洋楽について、「これ最近よく聞きますよね。なんていう曲なんでしょうね」と言った。そこから「洋楽好き?」「いえ、そういうわけじゃないんですけど。古い洋楽は好きですけどね」という会話の流れになって、その美容師は、「最近、古い洋楽のカバー多いよねー。若い子が話してる洋楽とか、私が知ってるやつ多いよー」とか言った。
私の好きな「古い洋楽」は、フレッド・アステアマリリン・モンローマレーネ・ディートリヒ系だ。「私の好きな『古い洋楽』をリアルタイムで聞いてたとしたら、あんた相当なお年だよ。美容師だったら日本髪結えるくらいだよ」と思った。
 
その美容師は、「私人生経験豊富なのよー。色んなこと知ってるのよー」みたいな態度を取るわりには、見たところせいぜい30代前半くらいで、私は内心、「いや、あなただって十分若いでしょ。そういう態度はせめてあと10年は経ってからにしろよ」と思った。40代50代でも、ちゃんとした人は謙虚で、「自分はまだまだ世間を知らない」と思っているものなのに。
自分は大人なんだということをアピールすることに興味があるのであって、目の前の客には全く興味を持っていないという感じだった。私のことを、ただ「自分より年下の女の子」としか見ていなかった。カットにもそれが現れていて、確かに髪を切る技術そのものは良かったが、大人顔の私に、若くて可愛い20代女子向けのゆるふわヘアを勧め、全然似合わないカットにしてくれやがった。
たぶん彼女は、その美容院の中では年長者で、あくまでも髪を切る技術に限っては、そこそこ腕も良いのだろう。仕事に自信が付いてきた頃に陥りがちな罠に、どっぷり嵌ってしまっている人なんだろうなぁ、反面教師反面教師、と思った。
まぁ、「自分は大人なんだよ〜」ということを、ろくに話もしていない初対面の相手にまでわざわざアピールするのは、それは本当に大人じゃないからそうするんじゃないのかな、と思った。本当に尊敬されている人は、わざわざ他人に「尊敬しろ」なんて言わないのと同じで。
 
礼儀というのは、相手を大人扱いするということなのかもしれない。私は前々から、体育会系精神論根性論の人たちの言う「礼儀正しくしろ」は、礼儀ではなくて「支配」とか「服従」とかいったものだと思っていた。「支配」や「服従」は、SMプレイでない限りは、大人同士ですることではない。礼儀とは、双方が気持ち良く関わるためのものなのだから、礼儀は双方通行のものであって、一方通行のものではないと思う。下の者が上の者に対してご機嫌取って気を遣うだけのものを、私は礼儀とは思わない。
こういうことを言うと、精神論根性論の人たちは、「若者に対して気を遣って低姿勢になれというのか?」と思うかもしれないけど、例えば、私の恩師の対応のように、相手を「来客」として扱うということは、つまり、相手に「来客」としての振る舞いを求めているということで、自分の親だったら許されるような甘えを許していないということだ。相手に自分と対等な大人としての振る舞いを求めているのだから、ある意味とても厳しいと思う。
相手が自分より年下だと見るや、「セールスする人とされる人」「学校関係者と来客」「美容師と客」という立場を無視して、相手のことを、まるで自分の子供か生徒か部下か後輩のように扱うのは、私は「礼儀正しくない大人」だと思う。
 
[追記]
「セールスする人とされる人」「学校関係者と来客」「美容師と客」という立場で来ているのに、相手のことを「おばさん」だと見るや、もう「おばさん」という扱いしかしなくなるのは、どう考えても失礼だ。「何こいつ馴れ馴れしくナメた態度取りやがって。私はあんたの親戚や近所のおばさんじゃねーよ」と思って当然だろう。それと同じように、相手のことを「若い子」という扱いしかしなくなるのも、失礼ということなのだ。
そういえば、私が「ちゃんとした大人だ」「ちゃんと話ができる人だ」と感じた人たちは、私に対して、「若いっていいよね〜」「若いと何でもできるでしょ」など、ことさら若い若いと言わなかったような気がする。
 
 
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