yuhka-unoの日記

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母と伯母とインターネット

加藤諦三ホームページ / 加藤諦三の言葉
 
甘えることのできなかった子は、そのままき真面目な大人になっていくことが多い。き真面目にしている限り、局囲の好意が期待できるからである。き真面目な大人は、甘えたくても甘えを表現できないで、いつも他人に対して気がねしていることが多い。

これはまさしく母のことだ。そして、母に洗脳されていた昔の自分でもある。
 
兄弟構成で、母は「真ん中の子」だ。上は気にかけられ、下は可愛がられて、親から一番無視された立場だったらしい。
祖母は母のことについて、「あんたが一番手のかからない子だった」と言っていたそうだ。実際、実家に帰った時に一番よく動いているのは母だ。子供の頃は、手伝いをよくして、自分のことは自分でして、早くに自立して稼いでいたのが、母の自信やプライドみたいになっていた。
私も、「お姉ちゃん」として表面上上手くいっていた時は、そんな感じだった。
 
母には妹が一人いる。この伯母は、けっこうテキトーで行き当たりばったりな性格で、母と伯母とだったら、傍目には、母のほうが真面目でしっかり者でよく気配りできる人で、伯母はちゃらんぽらんだと見えるだろう。
でも、育てられる子供にしてみたら、伯母のほうが楽なんじゃないかと思う。「とりあえずやってみれば?あかんかったらやめれば?」みたいな人だから。
 
母は、自分からPCやネットには手を付けようとせず、子供たちがするのさえ良く思わない人だった。リスクを過大に受け取って、自分の知らないことには手を出したがらない。それが自分だけだったら良いのだが、子供にも適用する人だった。かと言って、PCやネットに対する不安感を、明確に表明するわけではない。「パソコンなんか買ったら、遊んでばっかりになるやろ」と言って反対した。でも子供たちは、母がPCを導入したがらない本当の理由を、皆わかっていた。
だから、うちにPCとネットが導入される時は、子供たちが有無を言わせず自分たちで導入して、母に諦めさせるという形になった。
私の進路を誘導した時もそうだったが、母は、自分の臆病さと、そこから来る狭量さで、子供たちをコントロールしたがる自分の性質を、自覚していない面がある。
 
一方、伯母は自分でPCを買ってネットもやっている。でも、話を聞いてみると、わかっていない私から見ても、全然わかってない。どうやら、端末だけでやっていることと、ネットに繋いでやっていることの区別がついていない。たぶんあれは、テレビと同じ感覚だ。
でも、わからないけどやってみるというところが、伯母の良いところなのだと思う。
伯母の子供、つまり私の従姉妹も、やってみて、向いてなかったらやめてを何度か繰り返して、結局自分がしたかったことに近い仕事に就けた。それで良いのだろう。
 
「私は甘やかされた子供とは違うんだ」と思ってしまったら、どこかで歪みを抱えてしまうのだろう。「自分のほうがずっと大変だったんだから」と思って、子供に対して厳しくなってしまうし、他人に対して甘えない分、無意識に子供に甘えてしまうから。しかも、自分が生きてきたやり方を子供に適用することで、子供を自分の自己肯定の道具にしてしまう。

可哀想な人だとは思う。可愛がられた妹のほうが、良い子育てができていて、甘えたいのを我慢して、一生懸命自立しようと頑張った自分は、子育てに失敗してしまったわけだから。
でも、私は母とは違う人間だし、母の自己肯定のための存在ではない。
 
 
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