yuhka-unoの日記

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父の愛情

母が私のことを、アスペルガー症候群なんじゃないかと言ってきたことは、実は父の働きかけだったらしい。
父は高IQの持ち主で、おそらく、何らかの発達障害がある人だと思う。集団に馴染めないことで、色々と苦労した人生だったらしい。そして、私は兄弟の中で父に一番似たから、私も多少その傾向はあるのかもしれない。
もっとも、私の場合は、家庭環境が一番の問題で、その解決を優先させるべきと判断したため、発達に関する詳しい検査は受けていないのだが。
父は子供の頃、自分が自閉症なんじゃないかと言われていたことがあり、父に似た私もそうなんじゃないかと思ったというのもあったが、今の私にとって、カウンセリングを受けること自体が必要なのではと思って、母にそう言ったらしい。確かに、発達障害という「口実」でも見付けない限り、母は私をカウンセリングに行かせることはしなかっただろう。
 
後で聞いた話だが、実は私のカウンセリング代も、父が出してくれていたものだった。
母が、私がカウンセリングに行く意味を理解できなくて、金の無駄だと思っていたので、明確に「ゆうかのカウンセリング代に」とは言わなかったが、母に渡す金額を増やしていたらしい。
母は私に対して、「カウンセリング代を出してあげているんだから」という考えだった。なので、私がカウンセリング代を請求する時は、低姿勢にお願いしないと、不機嫌になった。
私は、養ってもらっているという負い目もある一方で、「自分の子育ての失敗の尻拭いを、二週間に一度のカウンセリング料金を出すだけで、カウンセラーと子供自身がやってくれてるんだから、安いもんだよね。家庭内暴力にも至らず、家事もそこそこして、こんなにお得なひきこもりも珍しいわ」とも思ってた。
このことを知った時は、あれだけ母に低姿勢になっていたのは、一体何だったのかと思った。
 
父は、母が私を自分の望む進路に誘導している時、母に「あれはゆうかには向いていないんじゃないのか」と言っていたらしい。しかし、その頃にはもう既に父と母は離婚していたため、父は、子供たちと縁が切れてしまうかもしれないという恐怖心から、母に強く言うことができなかったらしい。
そして、子供たち、特に私をよく外食に誘った。あの頃の父は、縁が切れてしまわないようにと、焦ってしまっていた部分もあったのかもしれない。でも当時の私は、離婚するしない以前に、思春期で父と距離を置きたい時期だったので、父の誘いは苦痛でしかなかった。あの頃の父と私には、そういう擦れ違いもあったのだろう。
 
父は、私が幼い頃、夢中になって絵を描いているのを見て、「この子は将来、絵描きになるかもしれないな」と思ったらしい。小学校に上がって、私が絵本みたいなものを作ると、「この子は将来、絵本作家でも良いかもしれないな」と思ったらしい。
父はそういう面で、親バカを発揮していたのだ。そしてそれは、私が最も欲していた愛情の形だった。
この話を聞いた時は、嬉しく思うと共に、一番欲していた愛情をくれる人が、こんなに近くにいたのに、肝心な時にその愛情が届かなかったのが悲しいと思った。
 
色々と性格に難のある父だが、一応ちゃんと子供のことを愛していたし、親としての責任を果たそうとしていた人だったと思う。父に苦しめられもしたが、父に救われもしていた。だから私は、今では父のことをかなり許している。そして、私が自分の人生を生きる準備が整った今なら、父の親バカな面は、私にちゃんと届く状態になるだろう。
父の、自分が否定されるようなことを一切受け入れられない性格は、結局直っていない。たぶん、一生直ることはないのだろう。父はそのせいで、自分でも気付かないうちに、大切なものを色々と失っているのだろう。そんな父に、最後まで付き合って面倒を見てくれる女性がいるというのは、今となっては有難いことだと思う。その女性をもっと大切にしてあげれば良いのにとすら思う。
 
人生も晩年に差し掛かった父は、今になってまた絵を描いている。若い頃から、自分が本当にやりたかったことを、またやっているのだ。
絵を通じて、父の残りの人生に付き合ってあげるのも、悪くはないのかもしれない。直らない父の性分に当てられないよう、適度に距離を置きながら。私が絵を描く気になったタイミングで、父が絵を描いているのは、そうやって親子としての時間を取り戻せという意味なのかもしれない。
 
 
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