yuhka-unoの日記

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人生エロエロ(プラトン的な意味で)

古代ギリシア哲学と現代倫理学のページ
 
「愛とは何か? 要約して言えば、ソクラテスの与える定義は次のようなものです。つまり、愛とは欲望であり、欲望とは欠如である。さらにプラトンは楔を打ちこみます。「自分の所有していないものや自分がそれではないもの、自分に欠けているもの、それこそが欲望と愛の対象である。」」(p.32)

プラトン的には、性への欲求、知への欲求、美への欲求は全てエロス(愛)ということらしい。性や知や美を求めるのは、今の自分に、それらのものが欠けているからで、欠けているものを求めるエネルギーがエロスということだ。
フロイトは、エロスが生の衝動で、タナトスが死の衝動と言ったそうだ。つまり、性への欲求も、知への欲求も、美への欲求も、全て生の衝動、生きるエネルギーということなのだろう。
 
日本人に自殺やひきこもりが多いのは、幼い頃から、エロス(生の衝動)を抑圧するような環境に置かれ続けるからなのかもしれない。「これやりたい!」という知的好奇心や探究心で動くのではなく、何らかの型に嵌められて義務感で動かされる。
好奇心や探究心といったエロス(生への衝動)で行動している時は、精神が解放されている時だ。インスピレーションは、精神が解放されている時にのみ感じ取れるもので、型に嵌められて義務感で行動している時は、インスピレーションを感じ取ることはできない。
 
芸術家が持つインスピレーションというのは、よく語られることだが、それはつまり、精神が解放されてないと、本当の創造や表現はできないからなのかもしれない。つまり、精神を解放できれば、芸術家でなくとも、インスピレーションを感じ取ることができるということだ。
プラトン的に言うなら、インスピレーションとは、イデア界から降りてくるものらしい。そもそも「イデア」は「アイデア」の語源だそうだ。イデア界から降りてきたインスピレーションに、自分を近づけるエネルギーがエロスということなのかな。
 
好奇心や探究心といったものがエロス(生への衝動)なら、人生は全て試行錯誤の段階だ。その時その時には結果を出さないといけない場面もあるし、成功も失敗もあるけれど、成功も失敗も、どちらも試行錯誤の段階の中の出来事でしかない。
今の日本人には、「レールから外れて失敗してしまったら人生おしまい」という刷り込みがある。エロス(生への衝動)を抑圧されている。成功も失敗も、どちらも試行錯誤の段階の中の出来事でしかないと思えば、もっと生きやすくなるのではないだろうか。