yuhka-unoの日記

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理想と妄想を詰め込んだ金麦妻は、アキバ系メイドちゃんと同じ

Togetter - 「「金麦」のCMはなぜ女性に嫌われるのか」
http://togetter.com/li/167868

以前にも盛り上がった金麦CMについての話題。
最初に言っておくと、私は金麦CMの演出が嫌いという立場だ。演じている檀れいさん自身のことは別に嫌いではなく、あくまでも金麦妻というキャラクターについて違和感を感じている。実際、上の記事でも檀れいさん本人を叩いている内容は見受けられないので、これはたぶん他の人もだいたい同じだと思う。
 
金麦CMのコンセプトは、昭和ノスタルジックだと思う。実際の昭和ではなく、あくまでも昭和をベースにした「理想化された昭和」だ。
「理想化された昭和」と言えば、映画「ALWAYS三丁目の夕日」が思いつく。金麦CMへの嫌悪感は、「ALWAYS三丁目の夕日」を見て「昔は良かった。貧しいながらも皆が希望を持って、人々が助け合って暮らしていたんだ」なんてことを言ってしまう人への嫌悪感に似ている。
もちろん、現実の「ALWAYS三丁目の夕日」の時代は、今よりも差別が当たり前に存在していた時代であり、環境破壊で公害が蔓延したという負の側面も持っていた。とある団塊世代の人の話によると、その人が子供の頃は、「女性には性欲がない」ということになっていたという。その話を聞いたとき、私はつくづくその時代に生まれなくて良かったと思った。
金麦妻もそれと同じで、現実の昭和妻は現在熟年離婚世代という負の側面を持っている。金麦妻も所詮は、昭和妻をベースにして都合良く作り上げられた、理想化され美化された昔の女ということだ。
 
さて、何かをベースにして都合良く作り上げられた、理想化され美化された女といえば、アキバ系メイドちゃんが思い付く。もちろんアキバ系メイドちゃんは、現実の職業人としてのメイドとはかけ離れている。金麦妻の「金麦冷やして待ってるからー!」は、アキバ系メイドちゃんで言うところの「おかえりなさいませ、ご主人様」だ。
アキバ系メイドちゃんは、所詮理想と妄想をぱんぱんに詰め込んだ、現実には存在しないものということを自覚して楽しむのがお作法だ。メイド喫茶店員のプライベートな現実にまでは、足を踏み入れてはいけない。あくまでも架空のごっこ遊びとしての境界線を保っておくものだ。アキバ系メイドちゃんは、全ての人が受け付けられるものではない。ああいう理想と妄想をぱんぱんに詰め込んだ存在など、他人から気持ち悪いと思われることがあって当然のものだ。
 
私は、妄想が気持ち悪いことと、妄想をしている人が気持ち悪いことは、また別の話だと思っている。その境界線は、妄想と現実の区別がつくことと、所詮自分の妄想など、他人から気持ち悪いと思われることがあって当たり前だという自覚があるかどうかだ。
私は、アキバ系メイドちゃん自体を気持ち悪いと思うことはあまりないが、「メイドちゃんを気持ち悪いと思うのはおかしい。そう思うのはオタクに対する差別だ」と思ってしまうのは気持ち悪い。同じく、個人レベルで「金麦妻が好きだ、あれは良い」と思っているうちは良いのだが、「金麦妻を嫌いだと思うのはおかしい。どこがおかしいの?」と思ってしまうのは気持ち悪い。
アキバ系メイドちゃんは、多くの場合、「所詮、妄想が共有できる人同士にしか通じない」という自覚がある。だが金麦CMには、その自覚があっただろうか。
 
もういっそのこと、お屋敷に帰ったら、メイドちゃんが「おかえりなさいませ、ご主人様。金麦冷やして待ってました!」と言ってくれるCMを作ったらどうだろう。大根と金麦を間違え、「言って言って。褒めて褒めて。」と、ご主人様にかわいらしく甘えてくるメイドちゃん。所詮非現実的な妄想という前提があるだけ、そっちのほうがまだマシだ。
あと、どうでもいいけど、私は下戸なのでビールより麦茶をお願いします。