yuhka-unoの日記

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自分に対する肯定を強要した父と、自分の見たものしか信じなかった母

私の父は、自分が好意でしてあげることは、相手が喜んで受け取らなければ不機嫌になり、少しでも自分を否定するような態度は受け付けない人で、肯定でなければ否定と受け取る人だった。そういった父の具体的な行動は「甘やかされているようで全然甘えられていない子供たち」で書いた通りだ。
 
私の母は、そんな私と父を見て、父と私は仲が良いのだと思い込んだ。「娘は自分に対して反抗して来るが、夫に対してはあまり反抗せず、夫が外出に誘うと嬉しそうについて行き、夫と楽しそうに会話をしている。そんな娘は、私よりも夫の方が好きなのだろう。」母はつい最近になるまでそう誤解していた。
 
父と母は、父の浮気が原因で離婚したが、離婚後、母は反抗して来る娘に対して、「そんなにお母さんのことが嫌なら、お父さんのところへ行けばいいやんか!お父さんとあの女(浮気相手)と三人で暮らしたら!」と言い放つことがあり、私はその度に、自分が父と仲良くするのは表面上のことで、父が否定的な態度を受け付けないこと、父が外出に誘ってくるのを断れないことなどを説明していたが、母はその後も何度かその言葉を吐いた。
後年、母はこのことを「子供には、父親と暮らすのか母親と暮らすのかを選ぶ権利があると思ったから」と言ったが、私は到底納得していない。もしそう思っていたのなら、何も喧嘩の時に言わなくとも、普通にしている時に、もっと穏やかな雰囲気の中で言うはずだ。しかし、母はそれをせず、専ら私が母と衝突した時にだけ言っていた。
 
そもそも、父のああいった性格は、母自身もうんざりしていたし、私が父に対して不満を言えないことについても、母は何度も私の口から聞いていたはずだった。思春期の頃、父がしょっちゅう外出に誘ってくるのが苦痛だと、泣きながら母に言ったこともあったし、私が父のせいで外食恐怖症になり、一時期には、家で食べる食事さえ、一度に少しの量しか食べられなくなったのも、母は目の当たりにしていたはずだった。
 
私はこれまでの人生で、母に全く何も言わなかったわけではなく、これだけのことを母に訴えてきたのだが、母は「だって、仲良さそうに見えるんやもん」と言った。私の言葉より自分にとってどう見えるかを信じるらしい。いや、少なくとも外食恐怖症に関しては、母はしっかりと「見ていた」はずなのだが。
私が「お母さんのほうが気楽にものを言えるから、その点では良かったのに」と言うと、「ああ、そう言ってくれたらわかったのに」と母は言った。この時は、「やっとわかってくれたか」と、開放感や安堵感のようなものを感じたが、しかし、時間が経ってくると、母のこの「そう言ってくれたらわかったのに」の一言に、だんだんともやもやした違和感を感じてきた。
 
「そう言ってくれたらわかったのに」とは、自分がこれまで娘の言い分を聞かなかったのを、私に責任転嫁する言葉ではないか。「これまであんたの言ってることを聞かなくて、表層だけ見て誤解していた私は悪くない。これまで私が納得する言葉で説明しなかったあんたが悪い」という意味ではないか。
母は実のところ、父が羨ましかったのではないか、娘に対して、「夫に接するように私にも接してくれたらいいのに」と思っていたのではないかという疑念が拭えない。母がこれまで、私と父の関係をそのように思っていたことは、私にとっては苦痛で孤独だった。
 
父親に性的虐待を受けたという娘の訴えを取り合わない母親は、夫に依存していて娘を守れるだけの能力が無く、自分の立場を守るために娘を「生け贄」にする、というケースの他に、そもそも娘の言葉自体を全く信じられないというケースも多いのではないだろうか。一見父親ととても仲が良さそうに見える、母親の自分より父親のほうが好きそうに見える娘が、まさかそのようなことをされているわけがない。きっと自分を困らせるために嘘をついているのだろうとしか思えない。あるいは、娘は父のことが大好きなのだから、娘のほうが誘ったのだろうと思い込む母親も多いのではないだろうか。
 
そして、私の父親は、娘と自分との関係は良好で何の問題も無く、自分がしてあげることを娘は喜んでいると思い込んでいたのだから、子供を性的に搾取する親も、きっと同じことを思っているのだろう。
虐待やDVの関係においては、一見普通の親子や夫婦より仲良く見えることなんてざらにある。それは、加害者が被害者に対して、自分に笑顔を向ける以外の態度を許していないからだ。