yuhka-unoの日記

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数学劣等生だった私

大学でアルファベットを教えて何が悪い - bluelines
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日本の小中高ってのはトコロテン式で、学んだことが身に付こうが身に付くまいが次の段階に押し出されるシステムだ。学習内容は積み上げ式だから、当然「落ちこぼれ」が発生する。ある段階で何らかの理由によりつまづいたら、よっぽど幸運にすばらしい教師に巡り合う場合を除いて、その後ずっと落ちこぼれ続ける。積み上がらない。
(中略)
これは学力低下の話ではない。高校卒業時点で小学校で学んだことが覚束ない学生なんて、これまでだって腐るほどいたんだ。そういう層にももう一度学び直せる機会が与えられるようになってきたということに過ぎない。これはどう考えても社会の成熟であり、今後の日本には必ず必要になるシステムであり、その為のコストは老人の生涯学習なんかよりずっと大事なものじゃないのか?

 
私は学生時代、数学の落ちこぼれだった。他の教科は別に出来が悪いというところもなく、特に国語は得意だった。国語の試験勉強なんて、普段授業をきちんと受けてさえいれば、テスト10分前に出題範囲の書けなさそうな漢字を暗記するだけで、90点台は楽に取れていた。だが、数学だけはどうしてもダメで、いつも赤点ギリギリだった。テストは欠点でも、授業態度の良さで何とか免除してもらっているような状態だった。
九九は今でもうろ覚えである。全部言える自信がない。九九を習った当時は、いつも最後の最後まで言えない子のグループに属していた。暗算も苦手で、計算ドリルも苦手だった。私は数学に関しては劣等性だった。
 
だが、そんな数学落ちこぼれ人生の中で、唯一数学ができた時代があった。高校受験のために塾に通っていた時だ。塾で教わると、不思議と数学がわかるようになり、それまでテストでは30点台や40点台だったのが、70点台や80点台を取れるようになった。特に図形の問題はよくわかるようになった。
しかし塾をやめると、私は元通りの数学劣等生となり、高校の数学もやはりついていけなくなった。
こんな調子だったので、私は長年数学に対して苦手意識を持っていた。
 
ある日、ふと見ていたテレビのクイズ番組で、「台形の面積の公式を答えよ」「円の面積の公式を答えよ」という問題が出ていたのだが、その回答を間違える大人が多かったのに驚いた。私はどちらも答えられる。私は長年数学に対する苦手意識を持っていたので、私が答えられる問題なのに、答えられない人がこんなに多いとは、以外だった。クイズのプレッシャーで間違えたという可能性はあるが、もしかして、案外忘れてしまっている大人が多いのではないか?
ここに、私の仮説が浮かんだ。答えられなかった人は、ただ公式を丸暗記しただけだったから、大人になって数学の問題を解く機会がなくなると、忘れてしまったのではないだろうか。私が覚えていたのは、なぜその公式になるのかを理解していたからだ。
そういえば、分数の割り算は、割る数の分母と分子をひっくり返して掛けるというのは、知っている人は多いだろう。「そのくらい常識だよ」と言う人も多いだろう。しかし、「なぜ、割る数の分母と分子をひっくり返して掛けたら、分数の割り算をしたことになるのか」ということがわかっている人は、案外少ないのではないだろうか。私はこれも理解している。
 
つまり私は、「なぜそうなるのか」がわからないことには、なかなか先へ進めない気質を持っていたのだ。しかし、私が受けた教育カリキュラムでは、九九の暗記、公式の暗記、暗算の速度と正確さ、それらによって大量の計算ドリルをこなせる力が重視されており、そのような内容では、私のような子は、まだ十分に「なぜそうなるのか」が理解できていないのに、どんどん先へ進んで行かれるような状態で、およそついていけるものではなかったのだ。
それならば、塾に行っていた時だけ数学が出来ていたのも納得がいく。塾では「なぜそうなるのか」を教わっていたからだ。
もし私の受ける数学の授業の内容が、九九の暗記をあまり重視せず、単純計算には計算機を使っても良く、その代わり「なぜそうなるのか」をじっくりと説明し、宿題や問題も、大量の計算ドリルではなく、文章問題をじっくり解かせるような内容だったなら、私は数学に対して楽しさや面白さを見出せたかもしれない。
 
人には大きく分けて、手順を暗記させた方が覚えが良いタイプと、暗記に重点を置かず理屈で教えた方が覚えが良いタイプがいるのではないだろうか。一方のタイプに合わせた教え方しかしていないと、もう一方は落ちこぼれてしまう。たとえ九九や暗算ができなかったとしても、「なぜそうなるのか」をじっくりと考える視点も、それはそれで立派な数学の一面だと思う。
池谷裕二という、九九も公式も漢字もほとんど覚えていないのに、東大薬学部を主席で卒業した人がいる。彼は、掛け算は独自の計算方法で解き、公式は覚えていないが、公式を導き出す手順は理解しているのだという。そして、やはり小学生時代は劣等生だったそうだ。
この人は、私の気質をもっと極端にした人なんじゃないかと思う。
 
アルファベットを覚えていない大学生がいるという話だが、もしかしたら、英語ディスレクシアの可能性があるのではないだろうか。だとしたら、読み書きにあまり重点を置かず、会話中心で教えると、よく覚える子が出てくるかもしれない。日本の英語教育は、読み書き中心だからね。
 
 
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