yuhka-unoの日記

旧はてなダイアリー(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/)からの移行

的外れな大阪府のニート対策

asahi.com朝日新聞社):ニート対策は小学生から 町良くする活動で働く力つける - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0131/OSK201101310077.html
 
 働く年齢になっても仕事や学校通学をしない「ニート」の若者を減らそうと、大阪府がユニークな取り組みを始めた。合言葉は「対策は小学生から」。地域とかかわりながら、コミュニケーション能力と問題解決の力を養う試みだ。

 「あいさつをしましょう」

 「自転車を置いてはいけないところにおかないで」

 昨年12月、大阪市天王寺区の市立聖和(せいわ)小学校の3年1、2組の児童たちが、こう書かれた段ボール製の看板を手に通行人らに声をかけた。別の児童は、公園のごみ拾いをしたり、学校の花壇に花を植えたりした。いずれも、町を良くしようと、自分たちで考えて実行したものだ。

 児童らは1月24日、活動を人形劇で発表したり、新聞を作ったりして報告した。

 これが、府が今年度始めたニート対策「まちときどきカエル」プロジェクト。自分たちの町は自分で変えられるという意味を込めた。対象は小学3〜6年生で、すでに23校で実施されている。

 小学生からのニート対策は大阪府が発案し、具体的な内容は「こども盆栽」(大阪市天王寺区)に委託した。元会社員で代表の松浦真(まこと)さん(29)が2007年に設立したNPOで、子どもらに働く楽しさを知ってもらうワークショップなどに取り組む。

 総務省によると、ニートは全国で約60万人(10年現在)、大阪府内には5万人いるとされる。厚生労働省の調査では、ニートの若者の約半数にひきこもり経験があり、約6割が「人に話すのが不得意」との傾向が見られた。

 松浦さんは、子どものころから、コミュニケーションを通じて問題解決のプロセスを考えることが、「働く」ことへの意識向上につながるという。「就職活動などの人生の岐路に立っても、どうしたら自分が社会に貢献できるか、そのためには何をするべきかが見えてくるはず」と話す。府は新年度も続ける方針だ。(河原夏季)

 
うーん…これは、少なくともニート対策にはならない。それどころか、むしろ逆効果になってしまう可能性すらある。なぜなら、引きこもりになる人は、「〜ねばならない」という規範意識に囚われてしまって、身動きが取れなくなっている人が多いからだ。

閉じこもってしまった人は、生活も対人関係のルールもめちゃくちゃになってしまっていることが多いので、「基本的なしつけもできていない」と見られがちですが、事実は逆です。幼い頃からマナーやルールを守るよう親からやかましくいわれて、本人も「守らなければいけない」と頑張りすぎた人がとても多いのです。
http://blog.goo.ne.jp/rw_hisako/e/3315abe2f137b756bd1d24b34dc261ab

井出 :でも、社会から逸脱しているはずの「ひきこもり」はびっくりするほど規範意識が高いんです。学校に行く年齢だと「学校に行かなきゃ」と思ってる場合が多いですし、学校に行く年齢を越えると「働かなきゃ」と強く思ってる場合が多い。「とにかくまともになりたい」という思いがすごいつよいんです。「ひきこもり」は「怠け」みたいに捉えられるんですけども、実は、本人はまったく怠けようと思ってる訳じゃなくてすごく真っ当に生きようともがいてる。逸脱してるはずなのに、すごく規範的だという矛盾ですよね。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20071116/p1

 
確かに、「人と話すのが不得意」と感じる引きこもりは多いのだが、問題は「なぜ人と話すのが不得意になってしまうのか?」だ。おそらく大阪府の試みは、「将来、人と話すのが不得意にならないように、小学生のうちから人とどんどん話させよう」という発想なのだと思うが、あまりにも短絡的すぎる。
単純に言うと、「人と話すの苦手だなぁ…」という思いを抱いた場合、「でも積極的に人と話せるようにならなくちゃ…!」と思う子よりも、「苦手なものは苦手なんだからしゃーない!」と開き直れる子のほうが、引きこもりになりにくいのだ。
「きちんとあいさつをしなければならない」「積極的に人とコミュニケーションを取らなければならない」といった規範意識を過剰に植え付けてしまいかねないこの試みは、むしろ逆効果になりはしないだろうか。
 
親に、先生に、学校に、職場に、世間に、社会に合わせようと頑張った結果、疲れきってしまって引きこもりになる人は多い。子供のうちから引きこもりにならないように教育しようとする視点は必要かもしれないが、現状はなかなか難しいだろう。何せ、子供を教育する大人がそもそも、規範に縛られていることが多く、子供に「いい子」になることを求めるからだ。
子供を変えようとするよりもまず、大人が変わることが必要だ。そして、社会が変わることが必要だ。
 
 
【関連記事】
他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話
仕事ができない「過真面目」な人について