yuhka-unoの日記

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善良なる普通の人々の心の闇

為末大「人を喜ばせる為に生きてやいないか」
http://togetter.com/li/81598

上のTogetter記事を見て思うところがあったので。
これって、「人に嫌われない為に生きてやいないか」と言い換えることもできるよね。
 
私の母はまさしく、人に嫌われない為に生きているような人間だ。親戚や友人やご近所さんに気を使い、仕事でも優秀らしい。ただし、根っからそういう性格というわけでもなく、それらの真面目さや善良さは、人に嫌われない為に自分を守る鎧なのだろうと思う。
彼女は、家の外の人、つまり「自分評価する人」と認識した相手に対しては、善良さの鎧を身に纏い、非常に気を使って接していた。その人たちに悪い評価を下されることを極度に恐れていた。一方で、家の中の人、特に子供など「自分評価する人」と認識した相手に対しては、善良さの鎧を脱いで接した。鎧を脱いだ母は、私にとっては抑圧的な存在だった。
ただし、母はそんな自分に無自覚だ。過剰とも思える生真面目さや気遣いを「普通」で「常識」で「皆そうしている」のだと思っている。私も長らくそんな母の元で育ち、それが普通でそうしなければならないものなのだと思い込んでいた。
 
メランコリー親和型」という性格タイプがある。私は精神病理学の専門家ではないので、正確なことはわからないが、鬱病になりやすい性格とされており、特に日本人で50代以上の人が鬱病になった場合はこの性格タイプであることが多いという。(近年は、メランコリー親和型鬱病は関係ないという説もあるとか…まぁ詳しいことは専門家に任せておくとしようw)

テレンバッハは、うつ病になりやすい性格の人々には秩序への特別な関わり方(秩序志向性)があるのだと、『メランコリー』の中で述べている。例えば、几帳面で何事においても完全主義であり、また責任感も強く、対人関係も細やかな配慮が行き届いている。
(中略)
また、メランコリー親和型の人の対人関係は「他人のために尽くす」という関係であり、他人のためにだけ存在していると言っても過言ではない。他人に奉仕し、他人を喜ばせ、他人に贈物をするという行為によって満足感を得ている面があるのだ。心底から嫌われることを極度に恐れ、何か傷つけるようなことを言ってしまいはしないかと、何度も考えてみる。物を無条件に受け取ることができず、他人から尽くされた場合は何倍ものお返しをする。不義理は絶対に許されないし、社会に対しても違法を犯すなどということは避けたがる。彼らは罪に陥ることに極度の不安を抱いており、わずかの負い目も負うまいとするのである。
http://yamatake.chu.jp/02psy/1psy/4.html

典型的な昔ながらの日本人像が浮かび上がっては来ないだろうか。私の母はどうもこの性格タイプに近いと思われる。
ただし、私が思うに、これらの特徴はあくまでも、メランコリー親和型タイプ本人から「自分を評価する人」と認識された人から見た特徴である。つまり、これは世間様から見た母の姿であって、私から見た母の姿は少し違うものだった。
母は子供の私に対して、自分と同じ基準を適用した。完璧に振舞うことを求め、過大な責任を負わせ、親戚や母の友人や近所の人に対して常に気を遣うことを求めた。それらの人たちと一緒に過ごした後、母はよく私の振る舞いについて細かくダメ出しをした。母の感覚では、そうすることが正しい「躾」だったのだ。
しかし今から考えると、それは私のための躾ではなく、ただ単に母自身が嫌われたくなかっただけのような気もする。自分がきちんと振舞っていても、子供がきちんと振舞っていなければ、自分に対する世間様の評価が悪くなる。「躾ができない母親」の烙印を押されてしまう。…このような思いが母の中にあったのではないかとも思う。
 
また、母は非常に「安定」「安心」を求める人であり、それゆえに臆病かつ心配性で、変化に伴うリスクを過大評価する傾向があった。

刻々と変化していく局面に柔軟に添っていくことがすこぶる苦手なので、既に世の中に定まっている規範・ルールに従うことで安心を見出そうとします。
この規範自体が社会の変化に従って、変化していくことを余儀なくされる性質のものですが、硬直化した性格はそれを拒み、『慣例』を優先させようとして、社会の変化に乗り遅れます。
 変化に対応できない一方で、批判への脆弱さがありますから、決して間違いの無い唯一の正しい答え、バイブルを求めます。それにさえ従っていれば安全と言う、安全思考の強さから、保守的な姿勢が生まれています。状況の悪い面のみを拡大解釈し、ネガティブな未来予測をするために、手にしたわずかばかりの安心を手放せません。
http://nanahime.blog71.fc2.com/blog-entry-64.html

しかし、子供とはまさしく変化の生き物である。いずれは親の与り知らない価値観に適応し、親の与り知らない世界に羽ばたいていく。それこそが健全な子供の姿なのだが、私の母は子供が自分の与り知らない世界に進むことを極度に恐れた。自分の把握できる範囲内に子供を留まらせようとした。
母にしてみれば、親として子供を心配しただけなのだろう。ただ、その過剰なまでの心配は、結果的にマイナスに働いた。
 
私はずっと、自分でも理解できない「生き辛さ」を感じていたが、ある時、その「生き辛さ」の原因が母によるところが大きいということに気付いた。気付いたと同時に、それまで感じたことがなかった母への憎悪や弟への嫉妬、もっと甘えたかった、寂しかった、自分の頑張りを認めて欲しかったという気持ちが一気に湧き上がってきた。今まで無意識下に抑圧されていたのだろう。母の望む「面倒見が良く真面目でしっかりしたいい子」でいるためには、それらの感情は邪魔だったから。そして、それらの感情の存在に気付いてしまってからは、最早「いい子」でいることはできなくなった。
 
私はそれまで、「面倒見が良く真面目でしっかりしたいい子」である自分に、どこかしらプライドを持っていた。しかし、その表皮が崩れ去ると、後に残っていたのは、自分で自分の進む道を決めて生きて行くことに関しては幼児なみの能力しか持っていない自分だった。おそらくその能力は、私が3歳のとき、弟が生まれた時点で成長が止まってしまったのだろう。私は結局「面倒見が良く真面目でしっかりした子供」であり、「自分で自分の進む道を決めて生きて行く大人」にはなれていなかったのだ。
 
そして…おそらく母は、私と同じ問題を抱えている。私は自分の問題に気付いたが、母は気付かずにここまで生きてきてしまった人なのだろう。だから、自分の問題が子供に表れてしまった。母もまた、かつての私のように、「しっかりしていて自立した自分」という自己像を持ち、その自己像に密かなプライドを持っているのだろう。そして、その心の奥底に、甘えたい欲求を抑圧しているのだろう。その欲求は母には認めがたい欲求だ。認めたらそれまで持っていたプライドが崩れ去ってしまうのだから。
 
母の抑圧された甘えの欲求は、私に向けられることになった。
母は「子供は親の言うことを聞くべき」「子供は親に感謝するべき」と言った。時折、親の役割を私に丸投げするようなことがあった。離婚した夫の愚痴を私に聞かせた。それらのことに反論すると、「お母さんはこんなにあんた達のために一生懸命やってるのに、あんたは全然協力してくれない」という言い方で責められ、反論は却下された。今から思えば、母は私に甘えていたのだろう。無自覚な甘えの欲求は、自分が支配できる弱い立場の人間に「〜するべき」という形で現れてしまった。「私はあなたにこんなにしてあげているのだから、私はあなたに要求する権利がある」というふうに。
私は、親に十分に甘えられたという実感に乏しい。それどころか、私が母の甘えを受け止めていた。おそらく母もまた、子供の頃十分に甘えられなかったのかもしれない。
 

褒めてほしい、僕を私を認めてほしい。あなたに価値があると言ってほしい。本当はそう言えればどれだけ楽か。

こういった欲求が自分の中にあると気付いた瞬間はとても辛かった。何せ私は「いい子」だったのだから。しかし、一旦認めてしまえば以前より楽になれた。そして多分、自分だけでなく他人も楽だろうと思う。なぜなら、甘えの欲求を自覚すると、もしその欲求を満たすために誰かの助けを借りるなら、自分より強くて余裕のある人に頼ろうと思うからだ。そして、その人に対して感謝するようになるし、要求も制御しようと思える。
甘えの欲求に無自覚だと、自分より弱い者を支配し抑圧する形で甘えることになる。しかも自覚がないので際限なく甘えることになり、相手を苦しめていることにも気付かなくなる。
 

いい事はいい事なんです。人に親切にするのも優しくするのも。ただそうしたいからするんではなくて、しないと怖いからする人もいる。

まずは自分の本当の感情と向き合う事では

根っから「そうしたいからする」人は、そもそも素でやっているので、自分より弱い者に対しても親切に優しく接する。しかし、「しないと怖いからする人」は、親切が自分を守る鎧になっており、その鎧の下の素顔には、嫉妬と甘えと苛立ちが渦巻いている。その抑圧された感情は、何らかの形で噴出しているのだが、本人は気付いていない。
例えば、「常に理性的で、感情で判断しない自分」という自己像を持っていて、およそ感情的とされることを嫌悪している人の中には、自分自身の感情的な面を認識できていないだけなのではと思うような人がいる。本人は気づいていないが、その人の感情はだだ漏れになっている。私は、真に理性的な人間とは、自分の感情に向き合える人間だと思う。
 

なんでこんなにやってるのに報われないんだ。どうしてこんなにやってるのにみんな褒めてくれないんだ。それがいつの間にか社会への恨みに変わる。評価されるのはいつも自分の好きな事にしたがっている人。みんなが期待する人に成ろうとしない人。世の中が評価する人生ではなく自分がやりたい人生を。

「自分にとってどうするのが一番良いのか」という基準で考える人は、「相手にとってどうするのが一番良いのか」を考えることができる。しかし、自分の思考を世間的な価値基準に置いている人は、「相手にとってどうするのが一番良いのか」を考えられず、世間的な価値基準を押し付ける。いや、本当は自分個人の考えを押し付けているだけなのだが、こういうタイプの人は、自分個人の考えに過ぎないものを「それが普通」「それが常識」「皆そうしている」「だからあなたもそうするべき」と言い換えているのだ。自己と世間とか一体化してしまっている。
こういう人は、自分個人の考えを言うのはわがままなことだと思っているのだろう。実際には自分個人の考えを世間の名を借りて押し付けているのだから、とてもわがままなことをしているのだが、本人に自覚は無い。「自分にとってどうするのが一番良いのか」という基準で考える人同士なら、「私もあなたも、自分にとって良いように行動する」ということで通じ合えるのだが、世間的な価値基準で考える人からは「自分勝手に振舞って、わがままな奴」と見える。その根底には、「自分はこんなに世間様の為に配慮して、やりたいことを我慢しているのに、あいつは好きなことやりやがって…」という嫉妬心が混ざっている。
 
「自分個人の考えを言うのはわがままなことだ」という考えは、おそらくは親からの刷り込みなのだろう。子供の頃、親に十分に自分の気持ちを聞いてもらえなかったのではないだろうか。自分個人の意見として言っても聞き入れてもらえなかったが、「これが普通だよ」という言い方なら親に要望が通った、そういう家庭で育ってきたのではないだろうか。
私がそのように考えるのは、実際に私の母がそうだからで、私は母に自分の要望を言う時は「今はこれが常識なんだよ」「実際はこうするのが普通だよ」という言い方をする。そうすると要望が通りやすい。昔は「お母さんの言ってる『常識』は『常識』じゃない。単なるお母さん個人の考えでしょ」と言っていたが、どうやら母には理解できないらしいのだ。
 
気付かずに人生を終えることができれば、ある意味では幸せだろうが、それでも私は気付いて良かったと思う。なぜなら、自分が気付かなくても子供が気付く可能性があるからだ。もし気付かないまま結婚し、子供を生んでいたら、私は母と同じ育て方をして、子供を苦しめてしまったかもしれない。私の母が私を苦しめたように。
気付くのは辛いが、私は若いし子供も居ないからまだ良い。しかし、私の母は50代だ。50代になってから気付いてしまった子供に接するのは相当しんどいと思う。そして、50代になってから気付くのはもっと辛いだろう。
 
バンクーバーオリンピックの時、国母選手の移動時の服装が問題となり、大騒動になったが、私はなぜ彼があそこまで責められなければならないのか、なぜこれほどまで騒ぐ必要があるのかわからなかった。
おそらく、善良なる普通の人々が普段鎧の下に隠している心の闇が、『常識』から外れた彼の行動をきっかけに一気に噴出していたのだろう。