yuhka-unoの日記

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「愛情」という土台があってこそ、「躾」は効力を発揮する

子どもをくさらせる10の叱り方
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-415.html
 
(用途)
子どもを引っ込み思案にしたいとき

子どもの自信を奪いたいとき

子どもを神経質で不安定な性格にしたいとき

案の定というか何というか、ブコメに「じゃあどうすればいいんだよ」という内容のコメントが多々書き込まれているが、この記事、手段だけ書いてあって目的が書いてないのがいけないんじゃないのかと思う。
 
以前の記事「他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話」でも書いたが、私の母は非常に神経質な性格で、私自身、元記事に書いてあるような、子供をくさらせるような叱り方をされて育ったと思う。
今になって思うのは、私が親に求めていたのは、「そんな叱り方をして欲しくなかった」というのももちろんだが、それ以上に「もっと甘えさせて欲しかった」「自分は親にとって大切な存在なんだと思わせて欲しかった」ということだ。
 
子供に対して愛情を与えること、即ち「あなたは大切だよ」「あなたを愛しているよ」というメッセージを発するのは、子育ての基礎の基礎なのかもしれない。まず「愛情」という土台があって、その上に「躾」を乗っけるというのかな。この「愛情」という土台があってこそ、子供は親を信頼する。土台がしっかりしていれば、時に親が感情的になって叱ってしまうことがあっても、反抗期で親と口をきかない時期があっても、心の底では親を信頼して感謝するものなのではないだろうか。
元記事を読んでみると、こういう叱り方が良くないという以前に、「愛情」という土台が無い状態で叱られるのが良くないのではないかと感じる。「愛情」という土台がない状態で「躾」だけを乗っけられても、子供にとってはただ厳しいだけで、本当の意味での「躾」にはならない。
 
一般に、傷付きやすい子は甘やかされているからそうなったと思われているが、実は甘えさせられていない子も傷付きやすい。土台がない家というものは非常に不安定で、少しの衝撃にもすぐぐらついてしまうのだ。
子供に甘えさせないが躾はするというタイプの親は、得てして子供に求めるハードルが高い。「この年齢の子供なら、これはできなくても仕方が無い」「この年齢の子供なら、これぐらいできれば上出来」といった、「この年齢の子供なら…」という発想が無い。大人に要求するようなことを子供に要求する。機能不全家庭にありがちな、親が子供に甘えて、子供が親のご機嫌を取るという、親子関係の逆転が起こっている可能性が高い。子供に甘えたい親は、子供が親に甘えることを許さないのだ。
結果、子供はいつも親の顔色を伺ってビクビクすることになる。子供なりの判断で何かすると怒られるので、怒られないためには何もしないのが一番だということを学習してしまう。少しでも他人の期待に答えられていないと感じると、すぐ「自分はできない。自分はダメな人間だ」と思ってしまう。なぜなら親がそういうメッセージを発していたからだ。
 
元記事に書いてあるような叱り方を一切しない家庭なんてないんじゃないのかと思うし、子供にがみがみ言う親に、がみがみ言うのをやめるように言ったら、親は子供にどう接して良いのかわからなくなって、結果子供に何のアクションも取らないという「過干渉→ネグレクト」の方向に行ってしまい、子供が親に見捨てられたと感じて、余計関係が悪化したという事例も聞いたことがある。
大切なのは、「愛情」という土台がしっかりしていることと、親に「この年齢の子供なら…」という発想があることなんじゃないかな。これがあれば、つい感情的に叱ってしまうようなことがあっても、子供は「親も人間なのだ」と割り切ることができるから、そんなに心配する必要はないと思う。
 

「そっちじゃない」より「こっちだよ」
http://d.hatena.ne.jp/hase0831/20100904
 
これら「子供をくさらせる10の叱り方」で発せられているメッセージは

「お前は誰にも愛されておらず、愛される資格もない。

誰からも必要とされていないし、何も自分ではできない」

という「お前は無力だ」ということのようです。

では、逆に

「お前は愛されているし、愛される資格もある。

わたしはお前を必要としているけれども、一人でできるようになって欲しい」

というメッセージを、どう伝えていけるか、を考えていけばよいのではないでしょうか。

これすごく納得( ´ー`)