yuhka-unoの日記

旧はてなダイアリー(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/)からの移行

他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話

私の母は、私が目上の人と話したり、親戚の集まりで何かと気を回さなければならない場合、細かくダメ出しする人だった。なので私は、プレッシャーがかかるような人付き合いはとにかく苦手になった。「目上の人相手や、人が集まる場では、母のように礼儀正しく気を配って接しなければならない」と思う一方で、「私にはそんなことできない。私は人と上手く付き合えないんだ」と劣等感を抱えるようになった。
なので私は、母と私と目上の人、という取り合わせで話す場合、最初の挨拶と最後の挨拶だけして、あとはなるべく母に喋らせて、私は喋らないようにするという戦術を編み出した。何か言うとダメ出しされたので、これが一番後でダメ出しされない方法だった。
 
そんなわけで、私は母と一緒にいる時にお隣さんに会った時も、なるべく母に喋らせて自分はできるだけ喋らない、という戦法を取っていた。
ある日、たまたま私とお隣さんと二人きりで話す機会があった。私は、母の知り合いということもあり、緊張しながらできるだけ失礼の無いように話そうとしたが、自分が上手く話せているという自信など全くなかった。
しかし、そんな私の心配とは逆に、お隣さんは「お母さんよりあなたのほうが話しやすいわね。あなたのお母さん気を遣う人だから…」と言った。その瞬間、私の目からウロコがものすごい勢いで落ちた。
 
え…こういう場面では、母のほうが絶対上手く立ち回れるだろうと思ってたのに…この人にとっては母より私のほうがいいんだ…
…もしかして、母のようにする必要ないんじゃね?
じゃあ、私このままでいいやん!(゚∀゚)
 
…と、yuhka-unoは何かに目覚めたw
 
母は、心からの優しさや思いやりで他人に接しているというよりは、他人に悪口を言われたり、それによって自分が傷付くことを恐れているという感じだ。なので、母の他人に対する気遣いや親切や善良さというのは、他人から攻撃されないための鎧なのだろう。
母の他人に対する接し方というのは、例えるならば、完璧に掃除され片付けられた家に、完璧にセッティングされたテーブル、完璧な料理に、完璧な気遣いで他人をもてなすような、そんなやり方なのかもしれない。そりゃそんなもてなし方ならば、文句は付けられないだろうけど、招かれた側は緊張するだろうなぁ。
母はそのやり方が「普通」で「常識」で「皆こうしている」のだと思い込んでおり、私に対してもそのやり方を求めたのだが、実は世間の人たちはけっこう適当に生きているものだ。
 
今でも人と接するのは苦手だけど、「母が異常にハードル高かっただけで、私わりと人付き合いできてたんじゃね?」と思えるようになっただけ、随分楽になったもんです( ´ー`)