yuhka-unoの日記

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親だけでなく、親以外の大人の言うことも沢山聞けば良いと思うよ。

親の言う事を聞くことは良いことなの?
http://togetter.com/li/36234

 
まぁこういうことを語る場合は、大抵の場合、親がまともな感覚であることを前提として語られるものだね。親がまともな感覚の持ち主であったなら、ブコメでもあるように「守・破・離」で良いと思う。
問題は、まともな感覚を持っていない親の場合だ。やっかいなことに、自分の親がまともな感覚の持ち主か否かは、子供にはなかなかわからないことが多い。なぜなら、本当にやっかいな親ほど、自分は普通の感覚の持ち主だと思い込んでいて、子供に対して世間の感覚から相当ズレたことを「これが普通」「こうするのが常識」と教え込むため、子供は自分の親や家庭はごく普通なのだと思い込んでしまうからだ。こういった家庭環境で育った子供は、年齢が上がって社会に出て行くにつれ、世間との感覚のギャップに苦しみ、なかなか社会に適応できなくなってしまう。
世の中には、この親の言うことは聞かないほうが良いというケースもあるのだ。
 
残念なことに、私の母はこのタイプの親で、母が私に対して良かれと思ってしたことは、ことごとく裏目に出ることとなった。前回記事『仕事ができない「過真面目」な人について』でも触れたが、私はそれが原因で、社会に適応するのに相当苦労することになった。社会に出た時に挫折して初めて、母の感覚が世間一般値からかなりズレているということに気付いたのである。
母は今でも、自分のことを普通で常識的な人間だと信じている。何せ、子供たちと意見が対立した時は、「これが普通やで!」「こうするのが常識や!」が決まり文句の人だもんね(笑)
 
母は「親は子供を養ってやっているのだから、子供は親の言うことを聞いて当たり前」という考えの持ち主だった。母の言う「言うことを聞く」とは、それこそ親の言ったことを完璧に・即座に聞くということであり、それができなければ「良い子」とはみなさなかった。当然そのような母の要求を満たすことは不可能なことであったので、母の私に対する評価は「気が利かない子」「どんくさい子」「聞き分けのない子」だった。
しかし、母からの評価が芳しくない私は、学校の先生や友達の親御さんなど、外の大人たちの評価は高かった。外の大人たちは私のことを「しっかりしている」「お手伝いを沢山して偉い」「面倒見が良い」と評価した。今になって考えれば、外の大人たちの評価の方が適切であり、母の評価の方がおかしかったのだ。
ところが、子供だった私は、「自分をよく知っているのは外の大人よりも母のほうなので、母の評価のほうが正しい」と思い込んでいた。外の大人たちは、私が他所の子だから気を使って褒めてくれるのだろうと思っていたし、母のいる所でそういうふうに褒められた時は、母は「ううん、この子、家ではホンマにどんくさいんよー」などと言っていたので、それを聞いていた私は、「確かに私は、外ではちゃんとしようとしてるけど、家ではぐうたらしているから、私はお母さんの言う通りどんくさい子なんだ」と思った。本当は誰だって家ではぐうたらするものなのだが、私は、「家での姿が本当の私で、母は本当の私を知っているから、母の言ってることが正しい」と考えたのである。
 
また、母は「Aちゃんは自分で夕ご飯作って食べるんだって」「Bちゃんは自分で洗濯するんだって」という話をよくしてきたので、そういった話を聞く度に私は、「他所の子のほうが沢山お手伝いをしているんだ。それに比べると私はやっぱりぐうたらでどんくさい子なんだ」と思い込んだ。実際は、こんな「Aちゃんは○○してるんだって」という話など、ほんの一部を取り上げただけの話であって、それ以外はAちゃんやBちゃんだってぐうたらしてたり、親の言うことを聞かなかったりするかもしれない。大体Aちゃんだってそう頻繁に自分で夕飯作って食べたりしないだろう。そういう一面的な取り上げ方をするのなら、私だって「yuhka-unoちゃんは毎日自分でお弁当作って学校に持って行くんだって」と言うこともできた。
 
今になって思うのは、「もっと外の大人たちの言うことを聞いていればよかった!」ということである。まぁ今からそう思ったって、当時の私は子供だったのだから仕方がないが、母よりも外の大人たちの方が、私を見る目が正しかったのだ。親というものは、親自身が思っているよりは、子供のことがわかっていないのかもしれない。親よりも赤の他人のほうがその子のことを理解できることなんて、実はよくあることなのだ。
まぁ、たとえ親がまともな感覚を持った親だったとしても、やはり人間なので完璧ではないし、どうしても限界がある。なので、自分が成長する過程においては、実の親の他に、学校の先生習い事の先生、親類の人や近所の人、社会人になってからは仕事先の上司や先輩など、「親的な人」を多く持ったほうが良い。そうすれば、その人たちが、自分の親に足りなかった部分を補ってくれるだろう。何も自分を育ててくれる人は親だけではない。外の大人たちにも、自分を少しずつ育ててもらおう。
というわけで、自分で意識的に「親的な人」を沢山作って、親だけでなく、親以外の大人たちの言うことも沢山聞いてみるのが良いと思う。ここで言う「聞く」は、文字通りただ意見を聞いてみることであって、この段階では従わなくて良い。色々な意見を聞いた上で、自分がこれと思う方法を採用すれば良いと思うよ。
あと、「親は子供を養ってやっているのだから、子供は親の言うことを聞いて当たり前」という考えの親は、危険信号なので要注意(笑)