yuhka-unoの日記

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仕事ができない「過真面目」な人について

向上心がないやつはほんとにどうしようもない
http://anond.hatelabo.jp/20100707221911

http://anond.hatelabo.jp/20100709111531

 
読んでて、これなんて私(´;ω;`)ってなった…
世の中には、たまにこういった「過真面目」な人がいる。そして、「過真面目」な人は、仕事ができない上に普通の指導法も通用しないのだね。
あまりにも共感したので、私なりの考えとそうなった原因について書くことにする。
 
まず、増田でいわれている「真面目になる」「不真面目になる」という言葉を「緊張度」という表現で説明してみる。
緊張度をグラフで表すと、緊張度0の状態がグダグダ・怠惰・自堕落の状態であり、緊張度100の状態がキャパ超え・パニック・鬱の状態で、0と100、どちらになっても仕事はできない。
で、仕事で求められるの緊張度が50くらいだとすると、大多数の人のノーマルな緊張度は20〜30くらいなので、仕事をする時は緊張度を上げる必要がある。当然、仕事のマニュアルは大多数の人に合わせて作られるので、「人の話を聞け」「人の反応に注意しろ」というふうに、注意を促して緊張度を上げる指導法になる。
ところが、世の中にはノーマルの状態で緊張度60〜70くらいの人がいる。こういう人に対して、大多数の人向けの緊張度を上げる指導法で仕事を教えると、緊張度が100に近くなりミスが増える。ミスが増えるのでますます注意を促し緊張度を高めるように指導すると、緊張度が限界を超えてパニックを起こし、仕事ができない状態になる。
真面目な人ほど鬱になりやすいというのは、こういうこともあると思う。
 
では、ノーマルの状態で緊張度が高い人の場合はどのようにすれば良いかというと…

ある時、もう、真面目になるのを諦めて、「不真面目になろう」、「人の話を逆に全く聞かないようにしよう」と思った。一旦、全部の注意をまっさらにして、自分が他人だったときに論理的に考えてやられると困るミスから潰していくようにした。
http://anond.hatelabo.jp/20100709111531

この増田の言うように、緊張度を下げてリラックスしてテキトーになることだ。
 
こういうタイプの人間のやっかいなところは、自分が他人よりノーマル状態の緊張度が高いという自覚がないということである。それどころか、自分は他人よりズボラだと思っていたりする。なぜなら、他人は明らかに自分より仕事ができるから、他人は自分よりずっと頑張っていて、自分はそこまで頑張れないズボラでダメな人間だと思い込んでいるのだ。
ところが、実際は他人より自分のほうがずっと頑張っている。ただ頑張る方向が間違っているので、まるでハムスターが滑車の中を回るが如く、延々と前に進まないところで必死に走って空回りしているだけなのだ。そういう状態は続かないのでいつか仕事を辞めることになるわけだが、頑張るのをやめた時には疲れ切ってしまって、立ち上がる気力も残っていない。また、肉体的には回復しても、再び仕事をするということは、またあの滑車を延々と全速力で走るような拷問を体験するということであり、その恐怖心からも立ち上がる気力がなくなる。もしかしたら、ひきこもりにはこういうタイプがけっこういるのではないだろうか。
 
こういう性格の原因について、元記事の増田のほうでは、アスペルガー症候群などの発達障害を疑うレスやブコメが多々見られるが、私の場合はアスペルガー症候群ではない。以前、母が私のことをアスペルガー症候群なのではないかと疑って、実際に病院でテストをしてもらったことがあり、アスペルガー症候群ではないという結果が出ているから、これは確かである。
私がこういう性格になった原因としては、家庭環境、特に母親の育て方に原因がある。母親は私以上にノーマル状態の緊張度が高い人であり、慎重で心配性で臆病な人だ。他人に対して必要以上に気を使う人であり、本人はやはりそれが普通でそうしなければならないものだと思い込んでいるので、私にもそのように振舞うことを求めた。母の感覚では、そうすることが正しい「躾」だったのだ。
母はある意味とても優秀な人であり、私は母が求めるほどには他人に気を使うことができなかったため、母は私のことを「聞き分けのない子」「気がきかない子」と評価した。子供というものは、親がそのように言えばそうなんだと思うもので、こうしたことが、私の「自分はズボラな人間だ」という思い込みに拍車をかけ、「私は母のようにできないダメな人間」という劣等感を植え付けることになった。今から考えれば、母のようにする必要などもともとなかったのだが。
このような母が私のことをアスペルガー症候群だと疑ったのは当然と言えば当然だ。母は「空気を読みすぎる人間」であり、本人はそんな自分を普通だと思っていて、母から見れば私は「空気が読めない人間」であり、仕事も碌にできなかったのだから。
 
人は普通、特に仕事をするにあたっては「緊張度を上げなければいけない」と思うものであり、「緊張度を下げなければいけない」という発想はなかなかできない。いわば「グータラになれ」「テキトーにしろ」というようなもので、「過真面目」な人は、頭ではそうしたほうがいいのだろうということは理解できても、その真面目さゆえに「そんなことをしてもいいのだろうか」と、ある種の罪悪感を感じてしまう。
しかし、一旦標準並みの緊張度を身に付けることができたら、元来真面目で責任感も強い性格なので、一転仕事ができる人になる可能性は大いにある…と思う。