yuhka-unoの日記

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若者の「空気」・年配者の「常識」

私は以前から、現代の若者は特に「空気を読んで周囲に合わせなければならない」という思いを抱いているという言説に、少しばかり疑問を持っていた。私から見れば、年配者もそれなりに空気の支配を受けているように思えるからだ。
例えば、年配者の「とりあえずビール」文化とか、付き合い残業文化とか、あれらは空気の読み合いそのものであると思うし、世間体も、若者よりはむしろ年配者のほうが気にしているように見える。
周囲の目線を気にして空気を読むのは、何も若者だけに限ったことではなく、若者には若者の、年配者には年配者の空気が存在している気がする。
 
というようなことをハイクの方で書いたところ、id:AmanoJack氏から「年配者の空気は『常識』とよばれているのですね 」というレスを頂いた。
なるほど、周囲に合わせなければならないと思わせる同調圧力のことを、若者は「空気」と称し、年配者は「常識」と称するのかもしれない。年配者の世代は全体主義的であり、最近の若者は個人主義的な傾向が見られるが、もしかしたら、個人主義における同調圧力が「空気」であり、全体主義における同調圧力が「常識」であるのかもしれない。
 
そもそも若者というのは、いつの時代においても、はっきりと自分の意見を言うのは難しいのではないだろうか。目下の者が目上の者に向かって、はっきり自分の意見を言わないのは当然である。もし相手の年配者が、自分より目下の人間の意見を頭ごなしに否定するタイプであったなら、はっきりとした物言いをするのはリスクが高い。この場合は、曖昧な物言いで適当に受け流すのが最善の策となる。
「近頃の若者は、はっきりと自分の意見を言わないね」と言う40代、50代の人でも、60代、70代の人と話す時には、やはりはっきりした物言いをするのは難しいように見える。
だから、大半の年配者が「若者ははっきり自分の意見を言わない」と思うのは、ある意味では当たり前のことだ。普段から若者とある程度深い付き合いがあり、尚且つ、若者から「この人は自分の意見を聞いてくれる」と判断された年配者しか、若者がはっきり自分の意見を言っているところを見る機会がないということなのだから。
 
若者のうちは自分より目上の人間のほうが多いので、はっきりした物言いをする機会が少なく、年配者は自分より目下の人間のほうが多いので、はっきりした物言いができる機会が多いという、単純な構図が存在する。
それだけのことなのに、最初から「近頃の若者は『空気を読んで周囲に合わせなければならない』という思いを抱いていて、人と衝突することを恐れ、曖昧な物言いしかしない」という言説を真に受けたまま若者に接してしまうと、相手の若者はただ単に年配者の自分に遠慮しているだけなのに、「ああ、やっぱり最近の若者は、はっきりと自分の意見を言わないのだなぁ」という感想を抱いてしまう…ということになってしまうのではないだろうか。