yuhka-unoの日記

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「理想の母」の姿をしていた恋

幼稚園児の頃から「○○くんのこと好き」と言っていて、常に誰か好きな男の子がいる状態だった私は、中学生になると、そういうことには飽きてしまって、「別に好きな人とかいなくても良いや。自然に好きになれる人が現れるのを待とう」という気持ちになった。そして、高校生の頃、初めて「落ちる」ような感覚で惹かれた体験をした。相手は先生だった。
その先生は、教師として非常に優秀だった。生徒からも他の教師からも信頼され、慕われていた。中学生の頃、酷い担任に当たってしまい、教師不信気味だった私は、その先生を見て、「教師にも、良い人とそうでない人がいるだけだ。生徒にも色々いるように。たぶん、どこの世界でもそうなんだろう」と思うようになった。
 
私はよく、先生に頼まれて、他の生徒の相談に乗ったり、レポートを手伝ってあげたりしていた。先生は、私のそういうところをきちんと評価してくれて、「ありがとう、助かった」と言ってくれた。友達とも先生ともよく話した。私は学校がとても居心地良く感じられ、ここが自分の居場所だという感覚を持っていた。
だが、その一方で、私は先生の頼みを断れない苦しさも抱えていた。先生はとても良い人で、私の話もよく聞いてくれて、気にかけてくれていた。たとえ私が先生の頼みを断ったとしても、先生は何も気にしない。それがわかっているからこそ、「忙しい先生の頼みを断るなんて申し訳ない」という気持ちになった。
 
結局、私は先生には告白しなかった。先生が既婚者だったからだ。中学時代、父の浮気が原因で両親が離婚し、双方から愚痴を聞かされるという経験をした私は、私みたいな子供など相手にならないということがわかっていても、既婚者である先生に告白するということは、自分の中の何かが許さなかった。たとえ付き合えなくても、自分の気持ちをぶつけてみたい、むしろ気持ち良く振られてすっきりしたいと思ったが、黙って自分の気持ちを押さえ込んだ。そのせいか、先生への想いは、その後かなり長い間引き摺ることになってしまった。
 
数年後、母と自分自身の歪みに気付いた私は、自分が先生に惹かれたのは、先生が「理想の母」だったからだと理解した。
私は、母に振り向いてもらいたくて、無意識に母が望む「しっかり者で、面倒見の良いお姉ちゃん」を演じていたのに、私以上に「良い子」だった母にとっては、それはやって当たり前のことだった。今から思えば、私は自分にできる精一杯で母を助けていたと思うが、その私の頑張りでさえ、母にとっては不十分だった。私は、心の奥底に、怒りや寂しさを抱え込んで、それらの感情を抑圧していた。「お姉ちゃん」でいるには邪魔な感情だったからだ。
私にとって、母は振り向いてくれない人だった。しかし、先生は振り向いてくれる人だった。私が無意識に求めていたものを、与えてくれる人だったのだ。実際、先生と私と他の生徒との関係は、そのまま、母と私と弟たちとの関係だった。
 
母は、「私が働いて養ってあげてるんだから、子供たちは家のことを全てして当たり前だけど、それができないから、家のことも私がやってあげているのだ」という考えだった。そして、母の要求はなぜか、弟たちより私のほうにずっと比重が多く求められた。母が私に求めた家の手伝いは、家族の一員としての役割や、将来自活できるようになることを目的としているというよりは、親に養ってもらっている「原罪」を償わせるようなところがあった。
しかし、親と子供では、本来立場も役割も責任も違う。親ができることを子供ができない、親が背負うべき責任を子供が背負えないことは、当たり前のことであり、罪ではない。母の要求は、本来、自分と同等の大人、例えば配偶者に対して求めるべきことであり、子供に対して求めることではなかったのだ。
親の立場と子供の立場を混同していた母に育てられた私は、母の価値観を刷り込まれ、「親的な存在」である先生と生徒の関係でも、立場を混同してしまい、本来自分には無関係な先生の忙しさに対して、勝手に罪悪感を感じてしまっていた。
 
このことに気付いた時、私は、異性の先生に無意識に求めたものが、「父親」ではなく「母親」だったあたり、やっぱり私にとってのラスボスは母だったのだな、と思った。
結局先生は、私にとって「親」だったのであり、どのみち私が付き合う相手ではなかった。自分にとって必要なものを、先生から受け取って、成長していくということだったのだろう。私は、自分が「お姉ちゃん」でいる必要のない、対等な関係でいられる相手と付き合うべきなのかもしれない。そう思った。
母と自分自身の歪みに気付かず、無意識に恋愛対象に「親」を求めていた時代に、恋が実らなかったのは幸運だったと思う。好きになった相手が良かったし、第一、私のほうが告白しなかった。これが、相手が独身で、依存気質で、高校生でも平気で食ってしまうような男だったりしたら、私は共依存まっしぐらだっただろう。恋によっては、実ってしまうというのも考えものなのかもしれない。