yuhka-unoの日記

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相手は自分より頭が悪いと思い込む材料としての「アスペルガー症候群」

前回記事『頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること』に、1000を超えるブコメがついて驚いた。そして、ブコメを読んでいるうちに、また色々と考えさせられた。
 
私がこの手の話で思い出すのは、山月記の李徴だ。李徴はもともと若くして科挙に受かるほど頭も良く、詩才もあったのに、自分の詩才を伸ばすことよりも、自分の自意識を保っておくことのほうを選んでしまった。つまり、「詩が上手くなりたい」という気持ちより、「自分は詩が上手い人だと思っていたい」という気持ちのほうが強かった。虎になる前の李徴の中では、自己評価が実際の自分の実力よりもずっと高くなってしまっていた。これについて本人が全くの無意識なら、私が前回書いた記事のような振る舞いになるのだろうが、李徴はどこかで(認めたくないものの)自覚があったので、実際の自分の実力が発覚するのを恐れて、師匠につきもせず、詩を志す者と交わりもせず、ということになったのだろう。
 
「他人からどう見えるか」とか「自分がこう見られたい」とかで行動するのではなく、純粋に問題そのものに向き合い、好奇心や探究心で行動したほうが、自分の能力を伸ばせる。そしてそれは、頭の善し悪し以外のことに関しても同じことが言える。
自己イメージを保っておきたい願望を振り払い、実際の自分の実力を直視した時点がスタート地点なのだろう。本質的な成長はそこから始まる。
 
さて、人の能力というものは分野によって違ってくるものだ。端的に例えれば、国語が得意で数学が苦手な人は、国語では頭が良い人になるが、数学では頭が悪い人になる。人にはそれぞれ分野があるので、この分野については判断能力があるが、この分野については自分は全くの素人で、相手のほうが判断能力があるというのは世の常だ。
だが、「自分は〜だから頭が良い」という考えは、この分野違いを全てぶち壊してしまう。つまり、「自分は全てにおいて相手より判断力がある。なので、全てにおいて自分のほうが正しい」と見なしてしまうのだ。
代表的なものは、前回記事で既に挙げた「男は論理的で女は感情的。だから男の俺は論理的」「自分のほうが学歴が高いから、自分のほうが正しい」だが、他にも「理系は論理的で文系は感情的」というものもあるし、最近では「ゆとりだから」「アスペルガーだから」というものもある。
特にアスペルガー症候群に関しては、「これはひどい」と批判されている記事に、「この記事書いた人アスペなの?」という内容のコメントが書かれていて、「いやお前もひどいだろ」と突っ込みを入れたくなることがよくある。
 
アスペルガー症候群については、よく「アスペルガー症候群は空気が読めない」「アスペルガー症候群は人の気持ちがわからない」と言われているが、これはアスペルガー症候群が少数派で定形発達者が圧倒的多数派であるがゆえのことだと思う。
もし、アスペルガー症候群の人だらけの集団に、定型発達者が一人で放り込まれたら、おそらくそこでは定型発達者のほうが「空気が読めない人」扱いになるのだろう。それに、よくよく考えてみると、定形発達者もアスペルガー症候群の人の気持ちがわからないではないか。なので正確には、「アスペルガー症候群は定形発達者の気持ちがわからない」なのだろうし、逆に「定形発達者はアスペルガー症候群の気持ちがわからない」ということでもある。
 
定形発達者は、アスペルガー症候群に迷惑をかけられていると思い込む。しかし、アスペルガー症候群にとっても、定形発達者が迷惑な時があるかもしれない。定形発達者は、アスペルガー症候群に合わせて配慮してあげているつもりでいる。しかし、どちらかというとアスペルガー症候群のほうが、定形発達者に合わせて配慮してあげている場面のほうが多いのではないだろうか。なぜなら、この社会で生きていくのに、定形発達者はアスペルガー症候群に合わせる必要に迫られないが、アスペルガー症候群は定形発達者に合わせる必要に迫られるからだ。
多数派は往々にして、少数派が一方的に自分たちに迷惑をかけていると思い込み、自分たちが少数派に合わせて配慮してあげていると思い込む。これは異性愛者と同性愛者の関係や、酒飲みと下戸の関係にも共通していることだ。多数派は多数派であるがゆえに見えなくなるものがある。
 

Togetter - 「アスペは社会のみんなに迷惑を掛けてるよね。」
http://togetter.com/li/49108
 
アスペルガー症候群について、ウィキペディアの記事を読んだのかすら疑問な人がいる。周りの人間なり馴染みのネット仲間なりがアスペアスペと喚いているのを聞いて、罵倒語の一種として覚えたのだろう。知識の共有も、いいことばかりではないな。
dosannpinn 2010/09/14 00:11:15

そう、アスペルガー症候群を「罵倒語」や「自分は〜だから頭が良い」と思い込むための材料にしている人たちは、必ずと言って良いほどアスペルガー症候群のことについて無知である。まぁこの記事を書いている私も、アスペルガー症候群について十分な知識があるとは言えないのだが、彼らは決まって私よりも無知だし、何よりも無知さの自覚がないようだ。
「頭が悪い」と思った相手をアスペルガー認定することや、アスペルガー症候群の人を「全てにおいて自分より判断力が劣る相手」だと思い込むのは、逆に自分の頭の悪さを晒すようなものなので、やめたほうが良いだろう。
 
 
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