yuhka-unoの日記

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これからどう「ひとつになる」のか

今、多くの人が自分に出せるだけの金額を募金している。これはとても良いことだと思う。だが、戦時中、金属不足に陥ったとき、国に鍋や釜や寺の鐘などの金属類を提供した人たちも、今の私たちと同じ気持ちだったのかもしれないと思うと、ちょっと怖くなる。もしかしたら、災害時の連帯感と戦時中の連帯感は、共通しているのかもしれない。だとすると、安易に連帯感の心地良さに溺れてしまわないほうが良いのかもしれない。集団がどこに向かっているのかは、常に考えておく必要がある。
 
「ひとつになる」という言葉を最近よく耳にするが、その「ひとつになる」というのが、例えば、一緒にお弁当を食べたり一緒にトイレに行かなかったりしたら、どこかのグループに属していなかったら、仲間外れにされていじめられる、みたいな同調圧力を強要されることなら、私はお断りしたい。そういうのは、表面上はひとつに見えても、実は内面はみんなバラバラで、全然ひとつではない。
こういう構図になってしまった集団は、得てしていじめが発生しやすい。いつ自分が排除されるかもしれないという恐怖感から、誰かに「排除される役割」を担わせて固定設定してしまうことによって、自分の身の安全を図ろうとする意識が、集団の中に無意識のうちに働くからだ。
 
効果的に「ひとつになる」ためには、個人個人が自立している必要がある。「良きチーム」になるということだ。良きチームは、個人の意見が通り、集団に疑問をぶつけることができる。個人個人が自分で考えて動くことができる。個人の意見を押し込めてしまって、集団に対して疑問を抱くことを許さない空気が蔓延している「馴れ合い集団」になってしまってはいけない。
少なくとも、戦時中と同じやりかたでひとつになってはならない。アメリカも、9.11の後、変な方向でひとつになっていった。精神論を基にした連帯感は麻薬だ。一時的には高揚感を得られても、リスクに目を背け、やがては自滅の道を辿ってしまう。これから間違った方向に行かないようにしたい。