yuhka-unoの日記

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「お世話係」―大人が子供に役割や責任を丸投げするという虐待―

【情報を求む】小学校の「お世話係」について、 - PSJ渋谷研究所X(臨時避難所)
http://d.hatena.ne.jp/kamezo/20100819/1282178941
 
カアチャンから皇太子一家のゴシップにまぎれて「お世話係」なる児童の役割を知らされる。クラスにいる問題行動のある児童や障害児について、なにくれなく気にかけて面倒を見るように担任から指名されたり、それとなく仕向けられた児童のことだという。ネットでの情報によると、全国にある模様だとか。

 
この「お世話係」という構造は、学校だけでなく、会社組織などの大人社会や、家庭内という小さな集団組織でも見られる。これは、親や教師や上司など、本来お世話をする役割や責任のある立場の人間が、その役割や責任を放棄し、自分より弱い立場の人間に押し付け丸投げしてしまうという構造なのである。だから、お世話される側の人間は、問題行動のある人や障害者であるとは限らない。
 
「お世話係」問題は、「助け合い」という名目の下で行われることが多い。そして、大人たちが「お世話係」の子を褒め、美談として取り上げることによって、虐待を正当化してしまっているケースも多い。
「お世話係」にされた子は、本来背負う必要の無い過大な役割や責任を背負わされ、しかもそれを拒絶するのはわがままで不親切なことだと思い込まされる。実際に「お世話係」が嫌だと訴え出た子供が、周囲の大人から「お前はわがままだ。不親切な人間だ。」「その子だって可哀想なのだから、お前が助けてあげなければいけないよ。」などと言われ、全く聞き入れてもらえなかったという話をよく聞く。そして、何か問題があった場合、「お世話係」の子は「お前がちゃんと見てないからこんなことになったんだ!」と怒られる。
しかし、この集団内において最もわがままで不親切で、お世話される側の子を助けてあげなければならず、ちゃんと見ていなければならないのは、他ならぬ周囲の大人たちなのだ。
 

長女によると、「お世話係」には成績や態度が良く、おとなしい面倒見の良い女の子がなることが多いらしい。教員が学級委員を教員が指名するような学級では、おそらく担任もそれを問題と思っておらず、「助け合い」の延長ととらえているか、昔からそうやってきて、なにも考えていないのだろうという。

成績や態度が良く、おとなしくは無いが責任感があって面倒見の良い女の子が、自発的にお世話係の様な事をするのも稀によくありますよね。たぶんそういう子が居ない時にめんどくさいから指名したってのも、発生段階にはあったのでは?と想像しています

自発的に面倒を見るタイプの子は、大人に気に入られ、集団内で居場所を確保するには、大人の役割や責任を肩代わりしてあげることだと、今までの人生の経験から学んでしまっていることが多い。ちょうど、性的虐待を受けて育った子が、大人に気に入られるには自分の性を差し出すことだと、今までの人生の経験から学んでしまっているように。
こういう面倒見の良い子がいた場合、大人は楽なほうへ逃げて、ついついその子を頼ってしまいがちだが、その子の性格や弱い立場につけ込んで、自らの役割や責任までその子に押し付け、「お前が『お世話係』をやるのは当然だ、『お世話係』を拒むお前はわがままで不親切だ」というようなプレッシャーを与えてはいけない。それは虐待だ。
 
肉体的虐待やネグレクト(育児放棄)は世間的にもよく知られているが、こういった精神的虐待の実態はまだまだ知られていないのが現状だ。「いい子が危ない」と言われる現代だからこそ、「いい子」に付け込む形での虐待はもっと認識されるべきである。
それから、この「お世話係」問題は、まず教師が生徒のケアを放棄しているという、教師によるネグレクトがそもそもの原因になっているが、このケースのように、ケアを肩代わりしてくれる「お世話係」という存在がいる場合、ネグレクトは表立って認識されなくなってしまいがちだ。
実際の家庭内虐待でも、ネグレクトをしている親の代わりに、上の子が「お世話係」となって下の子のケアを引き受けているケースは多いし、それでなくても、父親が育児に関与せずネグレクト状態だが、母親が育児を一手に引き受けているおかげで、父親のネグレクトが問題として認識されない家庭はごまんとある。

子どもほったらかしてホストクラブに行くことが非難に値するなら、連日連夜日付が変わるまで飲み歩きつつ、私らホステス相手に目尻下げて子ども自慢してるうちのお客さん達なんて全員ネグレクトで通報モノなわけだけど、彼我を分けるものが何なのかよく考えたほうがいいと思いますけどね。
http://twitter.com/silly_fish/statuses/20279880560

 
更にこの問題では、そもそも担任教師がその学校の教員の中で「お世話係」にされてしまっているという可能性がある。つまり、学校教員の間で、特にケアが必要な子供を特定の教員に任せきりにしてしまって、他の教員は特に協力するでもなく知らん顔、となってしまっていることもありうる。
学校教員の間でこういった構造になっている場合、「お世話係」にされた担任教師が過大な役割や責任に耐え切れず、自分が担当するクラスの子供の中から「お世話係」を選び出し、その子に役割や責任を背負ってもらおうとする、「お世話係の虐待連鎖」が生じることになるだろう。
(実際、機能不全家庭においても、まず父親が育児の責任を母親に押し付け、それに耐え切れない母親が、上の子に下の子の世話を押し付けるという虐待連鎖が見られる。)
この問題は、特にケアが必要な子がいるクラスだけの問題ではなく、そのクラスをサポートする学校全体、ひいてはその学校をサポートする社会全体の問題として考えるべきなのだろう。