yuhka-unoの日記

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いじめを取り巻く心理状況

弟の日記見てしまった:ハムスター速報 - ライブドアブログ
http://hamusoku.com/archives/3199365.html

>1が弟君の日記を見たら、弟君がいじめに遭っていたことが判明したという話。
一連の内容自体は結局解決したようで良かったのだが、コメント欄に色々と考えさせられるコメントが付いているので、いくつか取り上げて、いじめを取り巻く心理状況について語ってみようと思う。
 

※13
いじめの話になると必ず出てくる
「いじめはいじめられるほうにも原因がある」
「いじめられっこを庇うと自分が標的にされるから見て見ぬふりをする」
という二つの意見は矛盾していると思いませんか?

全然矛盾していない。なぜなら、いじめというのは、集団から排除される人間を固定設定することによって、それ以外の人間が排除されないようにするためのシステムだから。
なので、いじめが起こっている集団において大多数である「積極的にいじめるでもなく、いじめを止めようとするでもなく、何もしない人」というのは、今現在いじめられている人のおかげで集団から排除されずに済んでいるというわけだ。こういった「何もしない人」というのは、得てして自分自身のことを「いじめとは関係ない第三者」と思いがちだが、実のところは、何もしないことによって安全圏にいることをタダで享受できている人間であり、全然「第三者」ではない。
そして、「何もしない人」は、「いじめられっこを庇うと自分が標的にされる」ということを十分にわかっている。そして、今現在いじめられている子が、何らかの理由でいじめられなくなったり、その集団からいなくなったりすると、今度は別の誰かに「集団から排除される人間」という役割が回って来て、それがもしかしたら自分になるかもしれないことも、(意識的にせよ無意識的にせよ)十分にわかっている。
だから、「何もしない人」たちは、無意識的に心の奥底でこう思っている。「自分にお鉢が回って来るのは嫌だな。あの子がいじめられている間は自分は安全だな。あの子がずっといじめられてくれたらいいのにな。」と。そういう深層心理が、「あの子はいじめられる理由があるからいじめられるのだ」というふうに、「集団から排除される人間」という役割をより強固にし、その行為を正当化する方向へ向かうのである。
 

※174
いじめ、というか自分が嫌だと思う人間に
わざわざ自分から関わって、その相手に嫌な思いさせるような奴らって
どういう神経してるのか分からない。嫌いなら関わるな、寄って来るなって言ってやりたい

いじめっ子は、相手が嫌いだから苛めてるんじゃないんだよね。誰かをターゲットにして苛めて、周囲の人間に「俺に逆らうとお前もこうなるぞオーラ」を発して、その場の支配者になるのが目的。
なので、ターゲットにされたいじめられっ子は、言わば「見せしめ」の役割なのだ。歴史的に見ても、「見せしめ」というのは、集団を効率良く支配する手段として非常にポピュラー。
その場の支配者になるのがいじめっ子の目的だから、いじめっ子気質の人間は、自分の置かれた場で常にターゲットを見つけ出していじめようとする。
 

※340
ところでこの弟君は、自発的に事態の解決に向けての努力を何かした?
周囲が勝手に行動して、運良く登校できたって感じ?

何が言いたいかって言うと、当事者おいてけぼりで話すすめてる…?(´・ω・`)

この※340以外にも、「本人が自力で何とかしないと、本人のためにならないんじゃないの?」というコメントが多々見られるが、現実問題、いじめを受けている状況を被害者一人(ましてや子供)だけで解決するのは極めて困難だ。もしできるんなら、とっくに本人が自力で解決してるだろう。
そもそも大人だって、犯罪に遭ったり会社で不当な干され方した時に、警察や弁護士や周囲の助け無しに一人で解決するのは困難なわけで、こういう状況において「本人が自力でなんとかすべき」と言うのは、実質「泣き寝入りしろ」と言っているに等しい。
いじめというのは、大人が出て行ったとしても、余程上手く立ち回らなければ解決できなかったりするくらい、厄介な問題なんだよね。
 
ところで、この※340のように「この弟君は、自発的に事態の解決に向けての努力を何かした?」と言ってしまう思考回路とは何なのか。
実は、このようなことを言ってしまう人こそが、自分の身近でいじめられている人がいた場合、>1や>1の父親のように、「自発的に事態の解決に向けて努力をして」いじめられてる人間を助けようとできないのではないだろうか。
そういう人は、>1のような話を聞くと、いじめを止めさせるための行動ができない自分を責められているような気分になるのだろう。その時、「自分にはいじめを止めさせようとする勇気なんてないな…」と素直に言えばいいのに、コンプレックスの裏返しで「いじめられてる本人が自力でなんとかすべき(だからいじめられてる人を見ても自分は何もしなくていいよね)」みたいな思考回路になって、弟や>1や父親を叩くようなことを言ってしまうのだろう。
こういった思考回路が、「いじめられっ子が悪い」説の土壌になってしまう。「いじめられっ子が悪い」と言うのは、いじめを黙認する人間の自己正当化なのである。