yuhka-unoの日記

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「残したらもったいないから」―他人の胃袋をゴミ箱にする人たち

外食で、最初に注文する時に頼みすぎる、あるいは、料理を作る時に作りすぎてしまって、後で「残したらもったいないから」と言って、無理矢理食べてしまう人。本人だけが食べるのなら、どうぞご勝手にだけれど、同席している他人にまで食べることを強要して、一緒に行った人に多大な苦痛を与えてしまう人がいる。私だって、残すのはもったいないと思うし、食べ物を無駄にするのは嫌いだけれど、こういう人たちは、食べ物を無駄にしているとしか思えない。


そもそも、なぜ食事をするのかというと、健康に生きるためだ。だから、食べ過ぎて健康を害していたのでは、食べる目的としては本末転倒なはずである。食べ物を食べ物として活かすことができるのは、胃袋の許容範囲内に止めているところまでだ。それまでなら、食べ物は美味しく、楽しみをもたらし、栄養になる。しかし、許容量を超えた食べ物は、苦しく、十分に栄養として吸収されないまま、下痢や吐瀉物となって排出され、体調不良を招き、生活習慣病を招き、体にとって害でしかなくなる。食べ物を害にしてしまうということは、結局、食べ物を無駄にしているということだ。
「残したらもったいない」という義務感で食べる料理は、本当においしくないし楽しくないし、苦しいだけなんだよね。食べ物とお金と料理人の手間を無駄にしているとしか思えない。食べ残しを、ゴミ箱に捨てるか、人の腹に捨てるかの違いでしかないと思う。


たぶん、こういう人たちは、「自分が頼みすぎて・作りすぎて、食べ物を無駄にしてしまったのだ」という現実に直面するのを避けるために、他人に食べさせたがるのだと思う。とりあえず食べたという事実を作り出してしまえば、残して廃棄されてしまう食べ残しを直視しないで済む。そのためには、他人に多大な苦痛を与えようとも、知ったことではない、ということだ。「食べ物を無駄にしてしまった」という現実を無視するために、「自分のせいで、相手に苦痛を与えている」という現実も無視するのが、こういう人たちである。
この人たちのやっている行為をはっきり書くと、「相手の胃袋をゴミ箱にして、自分が発生させた食べ残しを捨てる」だ。そして、現実を直視することから逃げ続けているから、また同じ行為を繰り返してしまう。


依存症治療の世界には「イネーブリング」という言葉がある。

ネガティブな文脈では、個人のある種の問題の解決を手助けすることで、実際には当人の問題行動を継続させ悪化させるという、問題行動を指している 。第三者の責任感、義務感によって、結果的に当人の問題行動を維持させている。イネーブリングはアディクションの環境要因の中心である。
典型的パターンは、アルコール依存症患者とその共依存配偶者のペアである。イネーブラーはアルコール依存者の問題行動を「尻拭い」するような行動をとってしまう。例えば職場に病欠連絡を代わって行う、散乱した酒瓶を隠す、患者の言い訳作りに協力したりする。イネーブリングはアルコール患者の心理的成長を妨害し、また共依存者の陰性感情を増大させる。こういった共依存者は、アルコール依存患者の被害者ではあるが、同時に加害者ともみなしえる。
イネーブリング - Wikipedia

つまりは、「相手の問題行動を継続させ、後押ししてしまう行為」のことである。


こういう人に付き合って、無理に食べてしまうのは、この「イネーブリング」に当たる行為だと思う。なぜ付き合って食べてしまうのかというと、相手のほうが立場的・権力的に強くて断れないという、パワハラ的な要素が原因になっているケースの他に、食べさせられるほうも「残したらもったいない」と思っているから、というケースが、けっこう多いと思う。
だが、私は思う。自分の許容量以上の料理は、摂取しないほうが良い。こういう人相手には、断れるのなら断ったほうが良い、と。確かに、その時には、多くの食べ物が無駄になるだろう。だが、「自分のせいで、食べ物を無駄にしてしまった」という現実を直視してもらわないことには、この手の人たちは、同じ行為を繰り返して、被害者を増やし、食べ物を無駄にし続けることになる。この人たちの「尻拭い」をしてあげる必要はない。むしろ、一度、しっかり現実を直視してもらったほうが良い。


私の父は、過去記事『甘やかされているようで全然甘えられていない子供たち』『「もったいないお化け」の世代間連鎖』で書いたように、他人とシェアする前提の料理を注文し過ぎて、家族にしんどい思いをさせていた。父は、私たちの胃袋をゴミ箱にして、自分が発生させた食べ残しを捨てていたんだな、と思って、ああ、これってイネーブラーだと気がついた。私たちは、いつも父の悪癖の尻拭いをさせられていたのだ。父のせいで、私は外食恐怖症になった。
父は、口では「多かったら残してもええで」と言うのだが、内心ではそうは思っていないということが、ひしひしと伝わってきたので、私たちは残すことができなかった。父自身が、多かったら残すということを実行していないと、一緒に食事をしている子どもたちも、心からそうは思えないのだ。これは私にも言える話で、私自身が残すということを自分に許していなかったら、それは、口で言っていることと思っていることとが違うということになるだろう。


相手の許容量を超えて酒を飲ませることが「アルハラ」なら、相手の許容量を超えて料理を食べさせることも、ハラスメントになるだろう。「フード・ハラスメント」とでも言うのだろうか。食物アレルギーを持っている人にアレルゲンとなる食品を摂取させようとするのも、「フード・ハラスメント」に当たると思う。
「ご飯は残さず食べましょう」「食べ物を無駄にしてはいけません」は、いついかなる時も正しいわけではないのだ。

口癖は「良いビジネスマンとは、よく食う奴だ」。一緒に食事に行くと、ずっと「食え、食え。もっと食え」などと言われるのだという。B男さんは、期待に応えようと、昼間のステーキから、深夜のラーメンまで残さず食べ続けた。その結果、1年で8キロも体重が増えてしまった。お腹を壊して、体調のすぐれない日も多い。
「食え。食え。もっと食え」体育会系上司による「大食い」強要・・・パワハラになる?|弁護士ドットコムニュース

健康被害が出ているんだから、立派にパワハラだと思う。

比べるのは嫌だけれど、私の祖母も私の話を聞かない。
一緒に料理店に行くと、いくら私が要らない、食べられないと泣きそうになりながら断っても、自分が子供時代のひもじい思いをした辛さから良かれとどんどん料理を注文し、挙句自分が食べられなかった分を私に「食べれるでしょう」と差し出す。
今はもう必死に粘ることを覚えたが、中学生のころはガチ泣きをしながらご飯を食べたことも、何度かある。祖母は私が泣いていても、見えていないのか全く悪気が無く「食べれるって」と言う。
手芸屋さんで洗脳されそうになった話。

はっきり言う。これは暴力で、虐待だ。本人にその自覚はないだろうけれど。相手の話を聞かない・意思を尊重しないのは、ハラスメント加害者の特徴。

ごはんはちゃんと残しましょう。 - COPYWRITERSBLOG